前から少しずつ読んでいたアーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」を、今日ようやく読了しました。読み終えて、ひどく寂しくなる本でした。圧倒されるというか、ものすごく遠くに連れていかれて、そしてひとりっきりで放り出されたような読後感。
宇宙の旅を読んだときにも思ったけれど、この人の頭の中はどうなってるんだろう、というような、とんでもないスケールの話でした。人間の想像力って、すごい。
そして読んでいて何気に変な汗が出たのですが、わたしはウラシマ効果を、すごく誤解していたような気がします。
でも怖いから、深く突っ込んで勉強するまい。(※都合の悪いものは見なかったことにして逃げる派)
いや、マルゴ・トアフの話なんですけどね。ヴェドの設定は細かくネチネチ練ったわりに、一番SFとしては基本的な部分の、地球から一年半かけて宇宙旅行をするということの細かい齟齬を、完全に無視しています。地球人類は多分、超光速航法だかワープ航法だかを発見している、はず。
何も調べずに勘でものをいっていますが、光速以下の速度で向かって一年半で着くような場所に、地球人が適応できるレベルで生物の存在する惑星がある可能性は、多分ないんじゃないかなーと思います。(※何光年くらいの場所だったらあり得るかもしれないとか、調べてもいない)
そんで、超光速航法が見つかって実用化されているとして、ウラシマ効果による移住の問題をどうクリアしているのか、まったく考えてないです。ちょっとは真面目に検証しようかという気持ちは、あのお話を考え付いた最初の三日くらいの間はあったのですが、すぐに投げました。
っていうか、ウラシマ効果って結局何? みたいな……(小声)
鍵は相対性理論だということくらいは知ってるんですが、相対性理論=なんか難しいやつ=無理! という結論に三日で至りました。
いや、さすがに漠然とした概要は知ってるんです。光速に近いすごいスピードで飛んで行って戻ってきたら、本人にとっては大した時間がかかってなくても、地球ではすごい年月が過ぎてるっていうアレですよね。そう、すごく有名なアレ。
で、何がどうしてそうなるの……?
なんか「幼年期の終わり」では、光速の99%くらいの速度で、四十光年ほど先の惑星に向かっていって戻ってくるんですけど、そのときに地球では八十年が経っていても、宇宙船に乗っている当人にとっては二か月くらいしか経ってないんだそうです。
告白しますと、わたし、この場合は宇宙船に乗っている本人の感覚で、八十年かかるんだと思ってました。
わかってないじゃん、概要……。
まあ1950年くらいに書かれた小説なので、最新の科学知識とはもしかして相違があるのかもしれませんが、でも確かめなくてもわたしが間違ってたよね十中八九ね。どうせ理屈を勉強してもわかんないし、誰か壮大な実験をして答えだけ教えてくれないかな……(お前はもうSFを書くな)
たぶんこういう記事を書いたら、理系の人が親切に入門書にはこれがいいよとかって教えてくれたりしそうな気がするんですけど、もう宇宙ものは、そうそう書かないかなと思います。っていうか勉強したくない!(お前……)
なんかわたし頭悪いわりに半端に理屈っぽいんですが、異世界ファンタジーを書く(読む)ときにも、「ここは宇宙のどこかにある別の惑星なんだ」という認識で書く(読む)派です。読んでいる間は、つくりものの架空の世界だって思いたくない。
異世界FT書きの方にはおそらくおなじみの感覚と思うのですが、たとえば魔法がある世界だったら、「こういう魔法があるなら、社会の仕組みはこんなふうになっているはずだ」みたいな、そういう「もしも」の積み重ねで、世界観を固めていきますよね。
なんだかんだ、マルゴ・トアフもその延長で書いちゃったなあと思います。鳥系社会なら地上の道路はろくに整備されてないはず、地球に環境が近くて風が強いということは、自転が早いはず、みたいなテキトーなあてずっぽうばっかりで積み上げて行って、科学知識、ほとんど使ってないよねっていう。
そうか、あれはSFじゃなくて異世界ファンタジーだったんだよ!(こらこらこら)
まあいいか……死ぬまでウラシマ効果を誤解したままでも、まあいいか……。(目をそらしつつ)
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