戦闘妖精雪風を読み終わりました。厳密には、「戦闘妖精・雪風<改>」ということで、2002年にハヤカワ文庫から刊行されたバージョンです。
読み終えてみれば、読む前に漠然とイメージしていたような、手に汗握るバトルが爽快なアクションというわけではなく(なんかそういう小説だと勝手に思いこんでました)、皮肉で、哀しくて、ほろ苦いような話でした。
緊迫感に満ちた空中戦シーンはもちろんあるのですが、全体を通してみれば、思ってたほどアクションアクションしてなかった……と思うんだけど、それは私が戦闘機に詳しくないからかもです。というか、ぶっちゃけ、用語が半分がたよくわからないままノリで読んでしまった。SFが好きといいつつ、とても軟派なSF読者です。
しかし、面白かった。あとブッカー少佐の包容力にときめいた。
これは続きも読みたいと思って、即Amazonでポチりました。そしてなぜかそのショッピングカートにはLAMYのサファリが!(※万年筆。定価三千円ちょっとくらい、Amazonで二千円ちょっと)
……いや、その、四月の忙しいのをなんとか乗り切ったので、こんど残業代が入ったら、自分へのご褒美的に何か無駄遣いをしたいなあという欲望が、ちょうどむくむく湧いていたところで……。
無駄遣い。無駄と分かっていて、なぜ人は金を遣うのか。それは浪費という行動そのものが楽しいからだ!(どーん)
……しかし、貧乏人の悲しさか、ホントにぱーっとは、お金を使えないんですよね。あと、使わないものも買えない。
安月給とはいえ、就職してからこっちは、それほど節約に心を砕かなくても、贅沢さえしなければまあやっていけるようになったんですが(独身というのが大きい)、それでもなお、いまだに浪費という行動に罪悪感があるのは、三つ子の魂百まで的なアレでしょうか。
吝嗇家な自分と浪費家な自分が同居していて、「いや、これは浪費ではない、実用品だ! 活用するのだ!」という言い訳をしながら文房具を買っちゃったりするわけなんですが、自分で「ほんとかよ?」と思います。いえ、買ったからには使うんですが、しかし不要不急の品であり、かつ、すでにいま持っている安物でも、じゅうぶん用途としては足りているわけで……。やっぱり無駄遣いは無駄遣いです。
しかも、どうせならぱーっといいものを買って一生ものにすればいいのに、何万円もする品には結局手が出せなかったっていう。
だけど店頭で見たら可愛かったんだ、サファリ……。
っていうか、騙されるな、私。二千円は万年筆にしては安いかもしれないが、一般筆記具としてはじゅうぶんすぎるほど高いよ!
届いたら楽しくラクガキします。プロット立てたりするのに使うんだー。(手段と目的のどっちがどっちか深く考えてはいけない)
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