小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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拍手コメありがとうございました! 返信不要とのことですが、ちょっとだけ。教えてくださってありがとうございます! なるべく一気読み派なので、週末の楽しみにさせていただきますね! フィギュアの件もありがとうございました~。
さて、今日はちょっと女子的な意味でどろどろした話です。どろどろっていっても、色っぽいどろどろじゃなくて、女子同士のどろどろです。しかも何気に長文ですので、苦手な方は読み飛ばしていただければ幸いであります。特にバレンタインにまだ夢を持ってる少年少女の方……!
何の話かといいますと、下っ端女子の恒例ミッション・バレンタインデー用のチョコレート買出し作戦を、本日無事に完了いたしました。終わった終わったー!
でもじつは、まだ終わってません。同じくホワイトデーの買出しを命じられるであろう下っ端男子に、バレンタインの参加者とお予算をさりげなく耳打ちする任務が残されています。
なんでそんな面倒なことをせねばならないのかというと、現金を徴収するからには、当然ながら強制ではなく有志による企画であるべきで、そうしたところ今年は「わたしは義理チョコはしない主義です」という女子がいたからです……。
この面倒くささ、伝わるでしょうか。もしかしたら男性には伝わらないかもしれない。社会人女性にも伝わらなかったら、うちの職場がヤラシイだけかもしれません……。
だってさ、「女子一同からです」っていってチョコ配って回るわけで、そこで「ただし○○さんは参加してません」ってわざわざ宣言してまわるのもヤラシイじゃないですか。
だけど、その某女子は、男性からお礼をいわれたりお返しを受け取ったりするときに、「いやわたしは参加してないんで」っていちいち気まずい空気をただよわすの? っていう。こっちが仲間はずれにしたみたいじゃないか……。
といって、その人が黙ってお礼を受け取ったら、女性の中にはお金のことはケジメをつけないとってこだわる人もいるから、「あの人、お金はださなかったくせに、お返しだけしっかりもらってるの?」っていう、これまたやらしい視線が飛んだりするじゃないですか……。本人はそれでも平気かもしれないけど、横で見てるほうがしんどいわ。
で、また、そういうウワサが広まったりもするんです。噂話好きなひと、けっこう多いんです、うちの職場。
そんな面倒な思いをしてまで貫かなければならないほどの、断固たる主義なのかな、義理チョコしないっていうのは。
そうなのかも。だってそうでなかったら、ほんの何百円なんだから、何もいわずに出して心の安寧を買ったほうが安くない? もっと楽に生きたらいいのにさあ。とかってぶつぶつ心のなかで思ったりしました。
そう思ったんだけど。でも、なんで自分がそんなふうに思うのかっていうと、結局は自分が面倒な思いをさせられたから、だなとも思うんです。
だって、自分が巻き込まれなければ、正直なところ誰が参加しなくても、別にどうでもいいですもん。へー、で終わります。
単に今回、自分が面倒な思いをしたから、そのモヤモヤの落としどころがほしくて、そんなふうに「テキトーにみんなにあわせときゃ楽なのに」なんて理屈を捏ねて、人様の協調性を云々いってるんです。うわあ、性格悪いですねー。
わたしはもともとたいがい性格の悪いほうですが、しかし自己弁護を兼ねていうなら、人間の心というのはけっこう、そういう動きをするものなんですよね。そういう、自分を正当化する動きを。
だってさ。
わたしだって、もともとは協調性のない人間ですもん。社会に出てから、面倒を避けるために妥協できるところは、わりとどんどん妥協する主義になったけれど。
しがらみ、面倒くさい。いちいち細かいことに目くじら立ててヒソヒソうわさするような、閉塞した人間関係は、ものっすごく面倒くさい。もっとドライにいきたい。
伝統行事に付き合わされるのも、べつに好きではない。「やりたい人は楽しくやりゃあいいけど、やりたくない人のことはほっといてくれない? なんでそんなことまで人に合わせないといけないの?」っていう気持ちのほうが、実は、わかる。「どうしてあの子だけひとりでお弁当食べてるのかしら? せっかく誘ってあげたのに」よりも。
わたしは何もバレンタインがきらいってことはないんだけど、みんな一緒じゃないといけないっていうような女子の集団心理のほうは、正直なところ、けっこうわずらわしいです。別に孤立したいわけでもなし、仲間意識を持つことがきらいなわけじゃないんだけど、でも、協調性のない人間は排除せねばならないっていう集団心理は、なんていうか、ちょっと……。
そりゃ、お仕事ですから、多少の協調性は発揮してもらわないと困るんですけど、それはビジネス上のことであって、義理チョコに金だすかどうかは、ほんとのこといえばどうでもいいです。
今年も義理チョコしようよっていわれれば、いまのわたしはすなおに買出しに行きます。まあ、自分が下っ端だからというのもあるんだけど、ヘンにこだわっていろいろおかしな目でみられたり、かまいつけられたりするほうが、かえって面倒だし。
そうやって、合わせといたほうが楽なことには、適当に合わせることを覚えたけれど。しかし、もともとの自分は、協調性のない人間のほうです。
なのにそんなわたしが、自分の本音は棚に上げて、その義理チョコしない主義の人を、「協調性ないなあ」なんて非難するわけ? って。冷静になれば、そう思うんです。
つまり、自分を正当化するのは気持ちよく、正義面して人を非難するのは、楽しいっていうことですね。遺憾ながら。
正当化というのは、ある意味、自然な心のはたらきでしょう。ある程度は自分で自分の心を守らないと、世の中を逞しく生き抜いてゆくことはできませんし。
だから、自衛するのはいい。だけど、自分がそういうふうに自衛していることを、自分でちょっとは理解していないと、その理屈が正義だと、いつのまにか錯覚してしまうなって思います。
なんであの人はこれくらいのこともできないんだろう、自分がこんなにつらいのは会社が悪い、職場の空気が悪いのはあの子のせい、わたしがこういうことをできないのはうちの親が悪い。自分は間違ってない。わたしは被害者だ、だって先にあっちがあんなことした。云々……。
時にそんなふうに思ってしまうことがあるのは、もうしかたないです。そういうものですし、ぜんぶ自分のせい、自分が何もかも悪いんだって、四六時中自責してばかりいるよりも、いっそ健全です。
でも、そういうのがいつも真実で正義だとは、思わないほうがいいですね。口に出していう前に、いってしまったあとに、ときどきは振り返ったほうがいい。わたしはいま自分の心を守るために、自分を正当化しなかったか? それは本当に正義面してふりかざすような理屈か?
いつもそうやって自己嫌悪ばっかりしてたらしんどいだけだし、常に自分を責めてろってことじゃないんですけども。ときどきは、思い出したほうがいいなと思います。
……というように、社会人におけるバレンタインというものは、さまざまなしがらみと人間関係のバランスの上に存在しています。本来もっと楽しい行事のはずなんですけどね? たとえ義理でもね?
個人的にはバレンタインの義理チョコは賛成派です。男性にも「お返しとか面倒だし、正直いらん」な人がいることは承知の上で、それでも「義理でも、やっぱりもらったらちょっと嬉しい」層のひとがひとりでもいるなら、お中元お歳暮ならぬ、義理チョコの手配のひとつもせねばなりますまい。
というのも、あるとき職場のお兄さんが、「去年は一個ももらえなかったけど、嫁と息子に見栄を張りたかったので、こっそり自分で買って帰った」って……切なすぎるよ!
さて、今日はちょっと女子的な意味でどろどろした話です。どろどろっていっても、色っぽいどろどろじゃなくて、女子同士のどろどろです。しかも何気に長文ですので、苦手な方は読み飛ばしていただければ幸いであります。特にバレンタインにまだ夢を持ってる少年少女の方……!
何の話かといいますと、下っ端女子の恒例ミッション・バレンタインデー用のチョコレート買出し作戦を、本日無事に完了いたしました。終わった終わったー!
でもじつは、まだ終わってません。同じくホワイトデーの買出しを命じられるであろう下っ端男子に、バレンタインの参加者とお予算をさりげなく耳打ちする任務が残されています。
なんでそんな面倒なことをせねばならないのかというと、現金を徴収するからには、当然ながら強制ではなく有志による企画であるべきで、そうしたところ今年は「わたしは義理チョコはしない主義です」という女子がいたからです……。
この面倒くささ、伝わるでしょうか。もしかしたら男性には伝わらないかもしれない。社会人女性にも伝わらなかったら、うちの職場がヤラシイだけかもしれません……。
だってさ、「女子一同からです」っていってチョコ配って回るわけで、そこで「ただし○○さんは参加してません」ってわざわざ宣言してまわるのもヤラシイじゃないですか。
だけど、その某女子は、男性からお礼をいわれたりお返しを受け取ったりするときに、「いやわたしは参加してないんで」っていちいち気まずい空気をただよわすの? っていう。こっちが仲間はずれにしたみたいじゃないか……。
といって、その人が黙ってお礼を受け取ったら、女性の中にはお金のことはケジメをつけないとってこだわる人もいるから、「あの人、お金はださなかったくせに、お返しだけしっかりもらってるの?」っていう、これまたやらしい視線が飛んだりするじゃないですか……。本人はそれでも平気かもしれないけど、横で見てるほうがしんどいわ。
で、また、そういうウワサが広まったりもするんです。噂話好きなひと、けっこう多いんです、うちの職場。
そんな面倒な思いをしてまで貫かなければならないほどの、断固たる主義なのかな、義理チョコしないっていうのは。
そうなのかも。だってそうでなかったら、ほんの何百円なんだから、何もいわずに出して心の安寧を買ったほうが安くない? もっと楽に生きたらいいのにさあ。とかってぶつぶつ心のなかで思ったりしました。
そう思ったんだけど。でも、なんで自分がそんなふうに思うのかっていうと、結局は自分が面倒な思いをさせられたから、だなとも思うんです。
だって、自分が巻き込まれなければ、正直なところ誰が参加しなくても、別にどうでもいいですもん。へー、で終わります。
単に今回、自分が面倒な思いをしたから、そのモヤモヤの落としどころがほしくて、そんなふうに「テキトーにみんなにあわせときゃ楽なのに」なんて理屈を捏ねて、人様の協調性を云々いってるんです。うわあ、性格悪いですねー。
わたしはもともとたいがい性格の悪いほうですが、しかし自己弁護を兼ねていうなら、人間の心というのはけっこう、そういう動きをするものなんですよね。そういう、自分を正当化する動きを。
だってさ。
わたしだって、もともとは協調性のない人間ですもん。社会に出てから、面倒を避けるために妥協できるところは、わりとどんどん妥協する主義になったけれど。
しがらみ、面倒くさい。いちいち細かいことに目くじら立ててヒソヒソうわさするような、閉塞した人間関係は、ものっすごく面倒くさい。もっとドライにいきたい。
伝統行事に付き合わされるのも、べつに好きではない。「やりたい人は楽しくやりゃあいいけど、やりたくない人のことはほっといてくれない? なんでそんなことまで人に合わせないといけないの?」っていう気持ちのほうが、実は、わかる。「どうしてあの子だけひとりでお弁当食べてるのかしら? せっかく誘ってあげたのに」よりも。
わたしは何もバレンタインがきらいってことはないんだけど、みんな一緒じゃないといけないっていうような女子の集団心理のほうは、正直なところ、けっこうわずらわしいです。別に孤立したいわけでもなし、仲間意識を持つことがきらいなわけじゃないんだけど、でも、協調性のない人間は排除せねばならないっていう集団心理は、なんていうか、ちょっと……。
そりゃ、お仕事ですから、多少の協調性は発揮してもらわないと困るんですけど、それはビジネス上のことであって、義理チョコに金だすかどうかは、ほんとのこといえばどうでもいいです。
今年も義理チョコしようよっていわれれば、いまのわたしはすなおに買出しに行きます。まあ、自分が下っ端だからというのもあるんだけど、ヘンにこだわっていろいろおかしな目でみられたり、かまいつけられたりするほうが、かえって面倒だし。
そうやって、合わせといたほうが楽なことには、適当に合わせることを覚えたけれど。しかし、もともとの自分は、協調性のない人間のほうです。
なのにそんなわたしが、自分の本音は棚に上げて、その義理チョコしない主義の人を、「協調性ないなあ」なんて非難するわけ? って。冷静になれば、そう思うんです。
つまり、自分を正当化するのは気持ちよく、正義面して人を非難するのは、楽しいっていうことですね。遺憾ながら。
正当化というのは、ある意味、自然な心のはたらきでしょう。ある程度は自分で自分の心を守らないと、世の中を逞しく生き抜いてゆくことはできませんし。
だから、自衛するのはいい。だけど、自分がそういうふうに自衛していることを、自分でちょっとは理解していないと、その理屈が正義だと、いつのまにか錯覚してしまうなって思います。
なんであの人はこれくらいのこともできないんだろう、自分がこんなにつらいのは会社が悪い、職場の空気が悪いのはあの子のせい、わたしがこういうことをできないのはうちの親が悪い。自分は間違ってない。わたしは被害者だ、だって先にあっちがあんなことした。云々……。
時にそんなふうに思ってしまうことがあるのは、もうしかたないです。そういうものですし、ぜんぶ自分のせい、自分が何もかも悪いんだって、四六時中自責してばかりいるよりも、いっそ健全です。
でも、そういうのがいつも真実で正義だとは、思わないほうがいいですね。口に出していう前に、いってしまったあとに、ときどきは振り返ったほうがいい。わたしはいま自分の心を守るために、自分を正当化しなかったか? それは本当に正義面してふりかざすような理屈か?
いつもそうやって自己嫌悪ばっかりしてたらしんどいだけだし、常に自分を責めてろってことじゃないんですけども。ときどきは、思い出したほうがいいなと思います。
……というように、社会人におけるバレンタインというものは、さまざまなしがらみと人間関係のバランスの上に存在しています。本来もっと楽しい行事のはずなんですけどね? たとえ義理でもね?
個人的にはバレンタインの義理チョコは賛成派です。男性にも「お返しとか面倒だし、正直いらん」な人がいることは承知の上で、それでも「義理でも、やっぱりもらったらちょっと嬉しい」層のひとがひとりでもいるなら、お中元お歳暮ならぬ、義理チョコの手配のひとつもせねばなりますまい。
というのも、あるとき職場のお兄さんが、「去年は一個ももらえなかったけど、嫁と息子に見栄を張りたかったので、こっそり自分で買って帰った」って……切なすぎるよ!
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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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自己紹介:
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