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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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 あけましておめでとうございます!

 一度くらい、年始にあわせて何かしてみたかったので、ヤマもオチもないようなごく短いきれっぱしですが、ひっそりおいておきます。お時間のある方は、お暇つぶし程度にどうぞ。「夜明けを告げる風」と、書きかけの「火の国より来たる者」の間をつなぐ、番外編的なものになります。

 本年もなにとぞよろしくお願いいたします!

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『新年祭』


 イエトは手桶を石畳に置くと、顔を上げて、頭上で正円を描く月を仰いだ。ファナ・イビタルの夜を明るく照らす月は、じきに天頂にさしかかろうとしている。
 一年が終わろうとしている。今年は裏の年だったから、新たな年は、望月からはじまるのだ。習ったばかりの暦の数え方を、頭の中でたしかめながら、イエトは南の空に視線を転じた。
 いまごろ父は、遠い南の砂漠にいるはずだった。それは数年前から父に任されるようになった、たいせつなお役目だった。年の暮れからひと月以上のときをかけて、遥かな土地のオアシスをめぐってくる。父を含む選ばれた部族の男たちが、たくさんの駱駝をつれて旅立っていった日、その勇壮な光景を、イエトは瞼にしっかりと焼き付けた。
 ファナ・イビタルでは新年祭の準備で、みながそわそわと落ち着きなく浮かれていた。母もまた、邸の中を華やかに飾り付けて、妹と一緒に年がわりの祈りを捧げているころだ。男たちは広場に集まって酒を酌み交わし、女たちは家の中でそれぞれに、年の変わり目を祝う。それがならいだった。
 手桶を再び手にとって、イエトは厩舎へいそぐ。大人の手が足らないので、手伝いにかり出されていた。助っ人といっても驢馬の世話だ。イエトは父を手伝ったことが何度もあって、慣れていた。何も難しいことをするわけではないけれど、畏れ多くも族長の財である驢馬だ、間違いがあってはならない。
 自分がそのような役目をおおせつかったことを、少年は、誇りに思っていた。同い年の子どもらは、まだ遊ぶことで頭がいっぱいで、大事な手伝いをいいつけるにはどうにもあぶなっかしい。けれどイエトなら安心だと、大人たちの誰もがいい、それを少年は、誇らしく思っていた。そのせいで、仲間たちからやっかみを受けることも、ないではなかったけれど。
 それでも仲のいい連中は、イエトがけして大人への点数稼ぎなんかのためにいい子のふりをしているわけではないことを、ちゃんとわかってくれている。だから少年にとって、そんなことはなんでもなかった。
 角を曲がると、柵から顔を出して、驢馬が甘えるようにいなないた。手早く飲み水を変えてしまうと、大人たちがそうするのを真似て、驢馬の鼻面を撫でた。飼い葉はさっき足したし、糞も片付けた。これでひと段落だ。
 どうしようかと、イエトは空を仰いだ。遠くで笛の音がしている。この日のために楽士の卵たちが、ひと月近くも前から練習しているのだった。
 空には月と、そのすぐそばにあってさえ、かすまずに明るく輝く青白い星、セタ・サフィドラ《始まりの鐘》があった。
 何も手伝いの褒美というわけではないが、小遣いをもらっていた。広場にいけば新年を祝う男たちのために、そろそろ屋台が出ているはずだった。そのほとんどは酒か食い物を出すのだけれど、今日このときばかりは子どもらも夜更けの外出を許されるから、それを見込んで、菓子や冷やした果汁も一緒に並んでいる。
 そこにいって仲間たちの顔をさがし、珍しい砂糖菓子や飴を味わってみるのでもよかった。うまくすれば、ものわかりのいい大人を見つけて、酒もちょっとくらい舐めさせてもらえるかもしれない。
 けれど迷って、イエトはその場にとどまった。驢馬の鼻面をなでて、その優しい鼻息にくすぐられながら、空の星を数えた。父から教わった、数え切れないほどの星の呼び名と、そのそれぞれにまつわる話を。
 いつか――と、イエトは思う。いつか自分も父のように、砂漠じゅうを自在に渡る、りっぱな案内人になれるだろうか。
 誰かが笛の音を外して、どっと笑い声が上がった。
 流れ星がすうっと、空を滑ってゆく。天頂でひときわ輝くのがセタ・サフィドラ、その横の赤いのがナバ・ディハル、西のほうで二つ仲良く並んでいるうちの、大きいほうがヤ・ソトゥ。自分の父が、ほかのどの大人たちよりも星に詳しいということは、少年にとって、ひそかな誇りだった。族長から信頼を受けて、大事なお役目を賜り、隊商を率いてたびたび砂漠を渡る父。それが寂しくないとはいわないけれど……
 けれど、もうすぐ年は変わり、イエトはひとつ歳をとる。まだ成人までには三年のときがあるけれど、それでも大人について砂漠を旅することをはじめる年齢だ。
 年のわりに小さい自分の手を、イエトは見下ろした。
 イエトは同い年の少年らにくらべて背が低く、毎日のように力仕事を手伝っていても、くりかえし剣の素振りをしても、なかなか腕は太くなろうとしない。肩も胸も薄く、当然のように、けんかも弱い。
 弱いということは、部族の男の誰にとっても疑いようのない恥で、自分が父親に恥をかかせているのだという事実が、イエトにはいつもつらかった。けれど父は、そのことでイエトを責めたことがない。家にいるときは、頼めばいつでも剣の稽古につきあってくれて、声を荒げることもなく、ただ忍耐づよくひとつずつ、教えてくれる。内心では、もしかしたら呆れているのかもしれないけれど。
 それでも人一倍がんばれば、いつかは立派な戦士になれるだろうかと、つい最近まではずっと、どこかに淡い望みを持っていた。けれどどうやらその願いは、叶いそうにはない。ふたつ年下の少年にさえみっともなく転ばされた夜、こっそり隠れて泣きながら、イエトはようやく、その願いをあきらめる気になった。
 だからせめて、星を覚えよう。イエトは毎夜、弟妹たちの寝静まったあとに、空を仰ぐ。
 古い話を聞き集め、空を見て星を読み、砂漠を渡るための知識を身につけよう。砂漠の北方や西方の、こことは少し違う言葉を。危険な獣から身をさける術を、交易のための知恵を。体格に恵まれなかったかわりのように、物覚えは人よりもよかった。
 ずっとイエトの手に気持ちよさそうになでられていた驢馬は、とうとう眠くなったのか、ひとつ小さくいなないて、房の奥へひっこんでしまった。そうして変えたばかりの寝藁のうえで、ゆっくりと脚を折って横になった。
 いっしょになって寝転んだら、きっと気持ちいいだろうなとイエトは思ったけれど、考えただけでこらえた。なにせ、部族の驢馬はすべて族長の持ち物なのだから。
 柵にもたれて石畳に座り込んだまま、イエトは驢馬の寝息を聞いた。また星が流れる。どこか遠くで歓声が上がる……
 ふっと気づくと、イエトは父と二人で、夜の砂漠を歩いていた。
 頭上には満天の星。オアシスで見るよりも、もっとまばゆくきらめいている。行く手には、見渡すかぎり一面の砂の海。遠くに三角形をした砂丘が、しらじらと月明かりをはじいている。
 父は驢馬の手綱をひいていた。驢馬の背や腹には、たくさんの荷が括られている。重そうだな、イエトはと思ったけれど、驢馬はちっとも辛くなんかなさそうに、軽々とそれらを揺らして、ゆったり歩いている。
 父とイエトは、黙ったまま、ただ歩いていた。イエトはときおり、ちらちらと父の横顔を見上げた。面覆いの下から垣間見える父のまなざしは、まっすぐに前方を見つめている。
 いっとき、ただゆったりとしたリズムにのって、黙々と足を動かしていた。砂が、かすかに軋むような音を立てる。ときどき、びょうと風が吹き付けて、砂が舞う。
 ――見ろ。
 ずいぶんと歩いたあとで、唐突に父がそういった。イエトは足をとめた。気づけば驢馬も立ち止まっている。父は振り返って、背後を向いていた。
 父の指さす先の地平には、かすかな光の点があった。
 ――あれは、なに?
 イエトが問うと、父は目を細めた。
 ――あの光が、ファナ・イビタルだ。
 いわれて、イエトはその明かりを凝視した。それは小さな、ごく小さな光の点だった。ふと気をそらせば見えなくなるほどの、かすかな明かり。月があればその光に惑わされて見えなくなる、ちっぽけな暗い星よりも、その明かりはまだ儚かった。どこまでも広がる砂漠のなかの、小さな星くず。
 驢馬がいななき、はっとして、イエトはあたりを見回した。
 父はいない。当たり前だ、族長の命を受けて、いまごろ遥か南の砂漠を渡っているはずなのだから。
 どうやら柵にもたれているうちに、うとうとしてしまったらしい。痛くなった背中をこすって、イエトは伸びをした。広間では、まだ笛の音が続いている。
 気がつけば、満月はちょうど真上にあった。年がかわったのだ。いまこのとき、自分が十二になったことを、少年は知った。
 自分の頬が、知らずほころんでいることに、イエトは気がついた。
 少年は尻についた土ぼこりを払って、大きくひとつ、背伸びをした。広場へゆこう。みなと、新年を祝いあうために。

 

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