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竜のねぐらの推敲、間に合いませんでした。明日の夜にUPして、そして砂漠の地下の話に戻りたいです。
地下の話のほうは、書きたい空気をなかなかだせずに、悶々としています。長くあっためすぎて、自分の中の気負いみたいなものが、むだに膨れ上がってしまった感があります。しかし何をどう悩んだところで、結局はいまの筆力で書けるものしか書けないのだし、そこは割り切らないといけないなとも思います。十年単位であっためてじっくり書く話というのもあるだろうけれど、この話は、このまま放置しつづければ二度と書けなくなりそうな予感がするので。なんとかしてこのまま、意地で書ききりたい。
イメージワークという名目のラクガキが、どんどん増殖していて、どうせ読み返しもしないしょうもないメモやてきとうすぎる考察などが、ノートに氾濫しています。たまに、書き終わってから思い出して眺めてみたら、自分で書いたことを覚えていなくて、変な笑いが出ます。
ぼんやりいろいろ考えます。たとえば生活エリアが地下に限定されており、それも豊かな地下水脈に恵まれた、ということは、かなり湿った空間です。雨の国では、謎の(地形的な理由による)風により、洞窟内とはいえ風通しがよく火もどんどん使えるという設定をこじつけましたが、今度はそこまではいきません。天井の亀裂はあるので、それなりの換気はできるにしても、大きな火は使えない。
それでも長年そこに人が住み続けていられるのだから、やはり衛生管理が重要で、掃除や洗濯にとても気を遣う文化だろうなとかいう、ご都合主義的テキトー考察です。
それならきっと墓はなくて水葬だろうなと思い、飲み水に影響する適当なところに沈めるわけにもいかないから、流れの急なところと、なかば澱んでいる水の溜まりのところとあって、遺体はその急なほうに流しているんだろうとか。
澱んでいるところもあるというのは、彼らがおおむね自給自足を達成しているからです。水草から繊維を取る、水耕栽培的な農作物がある。
一年に一度しか交易をしないって、前作で(深く考えずに浮かんだままに)書いていたので、そこから考えたら、不完全ながらも自給自足にかなり近い状態ということになる。秘された地下都市で、一部族としか交易しないのだから、その交易品に食糧をたよるというのは苦しい。もちろん食糧も買い付ける(買うというか物々交換)けれど、それに大いに頼る、というわけにはいきません。
天上の亀裂から日の光が弱々しく差し込むエリアも何箇所もあり、そこには畑がありますが、それだけではいかにも苦しいです。
と、ちょっと横道にそれて、畑といえば、そのための土はどこから持ち込んだのかを、しばらくぼんやり考えていたのですが、長い年月をかけて自然にできた天然のものと考えてもいいかなと思うようになりました。
湿気があり、陽射しがある。地上から降ってくる土ぼこりもあるのだし、小さな生物の死骸もたまには降ってくるでしょう。湿気もあり、近くには水の溜まりがあって、菌やバクテリアもいる。
土というものは、岩盤が風雨や菌類や植物の根にたがやされ、有機物やいろんな成分が混じっていくうちに、やがて土になるものだと……思うのですが、どこでしこんだ知識かもよく覚えていないテキトー記憶なので、違っているかもしれません。たまにどこまでが仕入れた知識で、どこからが自分の妄想科学なのかわからなくなります。だめじゃん。
風雨はないから、地上の土ほど速やかには形成されないでしょうが、古くからある地盤だと考えれば、長年のあいだにそういう土が出来ていてもいい、ということにします。人の手でもいじるでしょうし。現実的かどうかはしらない。あえて調べません。書くのに都合が悪い事実が見つかりそうだから!(えー)
そこに肥料も作って、いろいろ手も入れるだろうし。でも、人の排泄物による肥は、病気の予防と衛生管理の問題から作らない。風通し悪いから。ほかの主だった肥料といえば、灰とか、魚かな。それは日本の話か?
うーん、外国の肥料の歴史について、調べだしたら楽しそうだなあ。しかし異世界ファンタジーは、そういうところをつきつめて考えようとするとどこまでも際限がありませんね?
ほどほどにします……。前に進まないので!(汗)
ともかく。水場には、藻や水草が多く魚がいるところと、それどころではない急な流れのところとあると。あと、陽光の射す水場とそうでない水場がある。
流れのほうも、交じり合わない流れが何本かあって、それによって天然の上下水道が整備されていて……とか書いていて、肥の話といい、なぜに恋愛風味のファンタジーを書いていてわざわざシモの話を考察しようとするのかと、自分で自分に白い目を向けました。本文中には主人公が用を足すシーンなどは入れません……。女の子だもん。
そうやってごちゃごちゃ考えた細部を(適当すぎる考察とはいえ)、さりげなく本文中に仕込めればいいのですが、どこまでやれるかな。たぶんほとんどの部分が、考えただけで書かないことになります。意味あるのか、それ。
たぶん、たいして意味ないです。ただ考えるのが楽しいだけで。
でも楽しんで書きます。好きでやってることだから。
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