一日じゅう推敲していたら、ぐったり疲れました。暗いんだよう……。
もっと明るくてノリノリで書ける話がいいよー。いや、一から十まで自業自得なんですが!
書きながらずっと迷っているのですが、雨の国の話、飢えや虐待、それから豪雨による水害についての描写が、若干ありまして……。そういうのの注意書きを、ちゃんとしたほうがいいよねとか。
そもそも、公開して大丈夫かなというところから、途中まで(そういう描写が出てくることがわかった時点から)迷っていたのですが、しかしそこを削れば、肝心の主題が成立せず。
公開ネタ帳で最初に書き出したときには、まったく気楽なもので、思い付きを適当に綴っていただけだったのですが、途中まで書き進めて、話全体の構図がおぼろげに理解できたところで、あれ、これはもしかして……と遅れて気づきまして。
何も決めずに適当に書き出しても、結局、そのときに、自分が暮らしのなかで考え続けていることを、そのまま書いてるんだなと実感しました……。
でも、じゃあ書くのやめ、ってできるかっていうと。
や、書くだけ書いて捨てるという選択肢だって、もちろんあるので、それをしたくないというのは、ただのわがままなんですけど。
でも、誰かがいやな思いをしたり、傷ついたりするかもしれない内容を、全て排除したものしか公表してはならない、というのは……。うまくいえないんだけど、それはちょっと違うと思うし。
水害の描写がなかったら、もっと迷わなかったのかな。描写の程度というか、按配については、悩んだんです。でもまるで書かないわけにはいかなくて。
時期的な問題で、災害の描写を含む小説やマンガについては、いまは、いろいろ悩まれてる方も多いと思うんです。
でもじゃあ、いやな思いをする人が多いものはNGで、少数だったらOKとかいうことなのかとか。
どれくらい類似性があったら気にするべきなのかなとか。
いまは早すぎるけど、何年後だったら書いていいよとかって、そういう問題なのか、っても思うし。
髣髴とさせるとかじゃなくて、現実に起きた大きな災害や事件、事故そのものを、そのまま題材にした小説は、じゃあどこからアリで、どこまでが配慮不足なのかな。そのときに見たもの、あったことを、感じたことを伝える声もまた、必要なわけで。それをつらいから見たくないという声があるのは当然として、だからって、誰も何も語ってはならないというのとは違いますよね。
地震の怖さを伝えるために、当事者の方が書かれる記録と、第三者が想像で書くものとは、並列に話してはいけないのかもしれないのだけど。
でも、戦争を体験した人にしか、戦争の悲惨さを訴える映画は作ってはならないとか、それもどうかと思うし。(そのことに不快な思いを抱く人が、いるかいないかというのとは、また別として)
年配の方で、戦争映画は観るのがつらい、絶対に見ないっていう方はいらっしゃいますし、それって戦争からもう六十年以上経つんだからもう大丈夫でしょうとかって、そういう問題じゃないですよね。
だからといって、でもじゃあ、そういう方がいらっしゃるから、誰も戦争映画は作ってはならない、戦争をちょっとでも思い出させるものはいっさい作るなとかって、それもちょっと違う。
戦争の悲惨さを伝える映画はOKで、戦争賛歌になってしまっているものは好もしくない……とかっていう問題? あれ、そういう問題なのか?
配慮って、どういうことなんでしょうね。
「誰にも何も配慮なんてしないでいいから、人が嫌がるものをどんどん書きなよGOGO!」ということをいいたいわけではないんですけど。
まあ、何を書いても、相応の文責はあるのだし。たとえしょうもない日常ネタのギャグを書いたとしても、それがトラウマに触れて傷つく人はいるかもしれないんだし。
誰のことも絶対に傷つけず、いやな思いもさせず、誰からもけして非難され得ないものだけを書けるというなら、それも選択肢だけれど。
でも、もしそんなものが書けたとして、それって果たして、書く意味があるのかとかっても思うし。
誰のことも傷つけず、誰からも嫌われないで生きることなんかできない。それはそうなんだけど、誰かを傷つけてもまったく気にしなくても謝らなくてもいいとかって、そういうことじゃないし……。
傷つけようと思って傷つけるのと、結果として傷つけてしまうのは、また違うだろうけど。
うーん。でもじゃあ、誰かを傷つけるかもしれなくても、それでも書かないといけないような、たいそうなものを書いているのかといわれると。
自分でそこを信じられるかどうか、なのかな。それを考えると、なんか変な汗が出るなあ。
いろいろ考えて、ぐるぐるして、脱線して戻ってきて、また考えて。いつもぐるぐるしすぎなんですけど。
うん……。なにはともあれ注意書き、だな。
レーティング等の問題などについて、普段から気を遣われている書き手さんからしたら、何を当たり前のことをといったところかもしれません。むしろこれまで、そういうことをちゃんと考えてこなかったところが、ナンダカナアなんですが(汗)
ここから急に軽い話になって恐縮ですが、わたしの場合、これまで年齢制限などの必要なものって、あまり置いてなかったんですよね。エロとかグロとかジェノサイドとか。(災害や戦争と違って、少々の性的描写の有無くらいでは、そんなに過敏にならなくても……とか、個人的には思うんですけど。まあそれはそれとして)
ぜんぜん書かなかったわけじゃなくて、三語小説とか、あらかじめそういう制約やお題をもらったときなんかには、猟奇描写だって性的描写だって書いちゃってるんですけど。
でも普通にサイトにおいているものには、それほど年齢制限がいるようなものはなかっ……なかった? よね?(急に不安)
あれ、でもそういえば、戦争シーンとか人が死ぬシーンとかは普通にあった。う、うーん。そっちももうちょっと真面目に考えるべきだなあ。
子供に見せて良いかどうかだけ示しておくのは、いくらか責任回避的意味合いもあり。レーティング示しても見るヤツは見るし。言ったじゃん的な言い訳かな。
いずれ、投稿サイトならサイト自体がガイドラインを設けるべきだし、なければ気にしなくても良いと思う。自分のサイトに載せるときは、そうねぇ、あらかじめ表記を決めとくとかすれば良いんじゃないかな? 気になるなら。「性表現あり」「暴力表現あり」とか。あるいは、短いあらすじを載せるとか。
個人的にはどーでもいーと思うけど。
たしかにそれはそうなんですよね。過剰な規制がどうなのかっていう部分については、全く同意です。ただそれでもやっぱり、予告なしに鬱々たる展開があったり、衝撃描写があったりすれば、読んでいて精神的に辛い場合もありますし。
ただ苦手、っていう程度ならいいんでしょうけど、もっと重たい、読んでいて本当に気分が打ち沈んだり、深く傷ついたりするようなものだったら、というのは、どうしても気になりますね。
「子どもは読むな」じゃなくて、「読んだらイヤな気分になるかもよ」の予告は、あったほうがいいのかなと……といっても、そもそもそんな力のある文章が書けてるのかというと……。ぜんぶ余計な心配かもです(笑)
ありがとうございましたー。
書き手として何をどこまで配慮するか、悩ましい問題ですよね。HALさんが辿られた思考を拝見し、ことごとく「うんうん」と頷いてしまいました。そして思ったのは、こうして考えることそのものが大切なのではないかなと。
自分が取り扱っている題材を自覚すること、それによって傷つく人がもしかしたらいるかも知れないということを念頭に置いておくこと、その上で自分が書いたものに対して、また、読み手に対しても誠実であること。そうすれば、自身の倫理に基づき、描写なども自ずとほどよい按配になるのではないかな、なんて思いました。
私の場合は、とくに何かを訴えているわけでもなく、けっきょくは娯楽なので、それをできるだけおもしろくしようと、パーツとしてぽんと安易に配置してしまうことが多くて、これが無自覚でいちばんいけないなーと、つくづく反省しました。自覚がなかったので、指摘されると必要以上にびっくりしちゃうんですよね。なので、まずは自覚すること、そして覚悟することも大事だと思います。書かない、という選択肢はなしで(笑)。
今回考えさせられたのは、正直なところ、例の件があったからです。避けて通れない水害の描写が入った時点で、どうしても思い出してしまって。
ただ、あのときの話は、わたしはいまでも納得してはいないんです。本当に、あの描写を読んでそんなふうに受け取られるだろうかというのも、疑問ですし。(当事者ではない第三者の謂いだというのが、余計にひっかかっているのかもしれないのですが……)全然、安易とは思いませんでした。あのシーンは、必要不可欠なものだったとも思いますし。
あの小説は、いつかお気持ちの整理がつかれたら、ぜひ公開していただきたいと、個人的には強く思ってます。
訴え……う、いや、わたしも大層なことは訴えてないような。やっぱり、ただのわがままかもです(汗)せめて注意書きだけは、冒頭にしようと思ってます。
そうですね、書かないという選択肢は、なしで。
ありがとうございました!
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