小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。

トラや (文春文庫)
読了。
医師としての仕事の重圧から、うつ病を発症し、苦しむようになった主人公。一時は自殺寸前まで追い詰められたところを、ほんのなりゆきで飼うことになった一匹の猫に支えられ、どうにか日々を生き延びた……
南木さんは、特にご自身の体験をもとに小説を書かれる方で、多くの作品が、医療の現場を題材にされています。
ご自身が、かつてカンボジアの難民キャンプに派遣されていたときのことや、うつ病に苦しまれたことや、末期がん患者の治療方針に思い悩まれたことや、そういう実体験にもとづくエピソードやテーマが、それぞれの作品にくりかえし出てきます。
中でも本作はとくに、私小説としての色合いが強いように感じられました。
仕事の重圧、うつ病の発症、同僚の医師からの皮肉、父の介護、子どもたちの自立……十五年間、家族を見守り続けた愛猫は、やがて老い、少しずつ弱っていき、静かに息をひきとって。
猫とともに暮らす人間としては、たまらなく胸をしめつける一冊。
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白鳥異伝 下 (徳間文庫)
文庫版上下巻、読了。
古代日本を舞台にしたファンタジー。『空色勾玉』続編。
遠子と小倶那のふたりは、勾玉を祀る巫女の一族・橘の家で、双子の兄妹のようにして育った。小倶那は橘の実子ではなく、赤子のうちに川を流されてきたところを拾われた養い子で、長く、その素性は知れなかった。
子どものころから、誰よりも互いに大切に思いあっていた二人。しかし彼らが健やかな若者に成長したある日、都から訪れた貴人が、小倶那のうまれ素性に察しをつける。そのことをきっかけに、やがて、かれらはどうしようもなく、互いに敵対する運命に飲み込まれていき……
面白かった。前作『空色勾玉』より断然よかったのは、主人公たちだけじゃなくて、菅流や七掬といった脇役が、とっても魅力的だったからだと思います。世界観も、王道のストーリーも、ともにすごく好みです。面白かった。
……のですが。
それだけに、あとほんのもう少し、と、激しく思ってしまうんです……。前作でも同じことをいいましたが、今回、さらに強く同じことを感じました。
このままでももちろん名作で、とっても面白い本。でも、あともうほんの少しだけ、キャラクターの関係性と心情描写が、丁寧に掘り下げて描ききられていれば、私にとって、一生の宝物になるような、最高の傑作になったと思うんです……。それがたまらなくもどかしくて、歯軋りするくらい悔しい。読者は好き勝手なことをいうものですが、本気でいいたい放題だなあと、我ながら思います。ファンの方に申し訳ないことを。うー。うー。
遠子と小倶那が、深くお互いに惹かれあい、思いあっているのだということを、彼らの言葉と行動によって、しっかりと語らせていることには違いないのだけれども、彼らが「どういうふうに」思いあっているのかというところの描写が、弱いように思えてしまいました。
キャラクターの関係性が、心情のゆれが、ストーリーの枠に収まる定型を超えていないというか、ストーリーに引きずられてしまっているというか。人物の設定が、生きた血肉になっているように感じられなかったというか。
ストーリーがしっかりしているので、キャラクター性としては、それでも充分なのかもしれないんですけど、生きた人間としての複雑な心情のあや、には、もう少し届いていないような。
たぶん、わたしが求めるたぐいのものを追求するには、尺が足りないんだと思うんです。倍くらいの長さで、一人ずつの関係性を、ちゃんと書いてあれば、きっと(わたしにとっては)倍くらい面白かった。展開や設定がすごくいいだけに、そこ、もっともっと活かせたでしょう!? と絶叫していました……。
たぶん、このシリーズを好きなほかの方々からしてみれば、とんでもない難癖というか、ただのワガママです。というか、わたしはどれだけワガママなんでしょうか。
なんでこんなに悔しがってるかというと、好きなタイプの作品だからです……。作風やジャンルがちょっと違っていれば、それくらいのことを、いちいちこんなに強調して惜しんだりしません。普通に妥協して楽しく読みます。自分でもそういうワガママはどうかと思います……
でも面白かったです。
いずれ続編の『薄紅天女』も読んでみようと思います。

スクールアタック・シンドローム (新潮文庫)
読了。
十五歳のときにできた自分の子どもが、いまそれと同じ年頃になり、ノートに大量殺人計画をつづって、その手始めにと猫を殺した。自分自身も心を病んで、半年ものあいだ無気力に家に閉じこもっていた主人公は、警察がやってきて、息子が逮捕されようというそのときになって、ようやく自分が何をすべきかを考え始める。――表題作『スクールアタック・シンドローム』
そのほか、独自の理屈をもって行動する変わり者どうしの夫婦と、その家族を描いた短編『我が家のトトロ』、なぜか死んでも何度でも蘇る奇妙な女の子と、彼女が受け続けるグロテスクで壮絶な虐待を描いた『ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート』の三本。
なんだろ、歯に衣着せず一言でいうなら、すごくヘンな小説。理不尽な展開はいっぱいあるし、頭の配線がとことんずれたような人がどんどんでてくるし、猟奇描写はあるし、かと思えばへんにセンチメンタルだったり、メルヘンチックだったりする。
エグい描写も淡々と描かれているので、意外と平気に読んじゃいましたが、でもまあ、猟奇描写や理不尽な展開が苦手な人にはアレですね……。
人に勧めるにはかなり悩むというか、ものすごく読む人を選ぶ作品だなあと思うのですが、個人的にはかなり面白かったです。ところどころでがっつんがっつん胸を打ちました。
わたしはもともとこういうのって苦手なほうなんですが(猟奇的なところがじゃなくて、理不尽のほうが)、不思議なくらい面白かったです。シュールな設定・展開でくるんであっても、描かれているストーリーラインは王道で直球だからかも。

世界悪女物語 (河出文庫 121B)
読了。
世界各地の、歴史に名を残した悪女たちのエピソードを集めたエッセイ。自分の美貌を保つために、若い乙女を虐殺してその血の風呂につかったというエリザベート・バートリー。民衆の貧困に眼を向けようともせずに享楽の限りをつくしたマリー・アントワネット。その美しさを利用され、政略結婚に利用されたあげく、夫となった相手を次々に死なせることになったルクレツィア・ボルジア。クレオパトラ、メアリ・スチュアート、エリザベス女王……
うん、面白かった!
うわあ、これは怖いかなあ……と思いながら読み始めたんですけども、語り口のおかげか、むしろドキドキしながら読んでました。もちろん怖いエピソードはたくさんあるのですが(つくづく女は怖いな!)、それにしても、とっても魅力的。暗い魅力というか、退廃の美というか、悲劇のもたらすカタルシスというか、なんというか。や、実際に生々しく想像すると、ものすごく怖いんですけども。こういうの面白いっていうのは、野次馬根性かなあ。でも面白かったです。
人の恐ろしさや愚かさ、醜さを、ひっくるめて魅力的に描ける作家さんというのは、なんていうか、すごいなーと思いました。
怖いっていうのも、人の気持ちを引くパワーなんだよなあ。私も怖いの苦手だなんていってる場合じゃないな。いや、苦手なんですけど。ビビリなんですけど!
先に読んだ澁澤さんの小説・評論3冊が、面白いような気がするのに、あと一歩のところではまれなくて、次をどうしようかとツイッターでぶつぶついってみたら、tori様から薦めていただいたのでした。持つべきものは読書家のお知り合い!
ちょっと余談というか、家に昔から、母が好きで買っていた『ベルサイユのばら』や『七つの黄金郷』等々のコミックスがあり、子どもの頃にはまって読んでいたのですが(注・『七つの黄金郷』は間違いなく名作少女マンガですが、未完結のまま諸般の事情により長年止まっています)、そういう、昔読んだマンガに出てきた歴史上の人物のエピソードが、実にいきいきと描かれておりまして、読みながら妙に懐かしい気持ちになりました。
渋澤さんのこの作品に刺激を受けて、彼女らの話を描いたという作家さんも、もしかして多いのかもしれないなあなんて、おもわず考えこんでしまいました。(※思っただけで、どの作家さんのどの作品がそうでと、調べたわけではありません)

愛の試み (新潮文庫)
愛について考えるエッセイ。短いフィクションの挿話を挟みながら、人を愛するということ、真実の愛とは何か、孤独とは何かを思索していく。
少し理屈に走っているきらいはあるけれど、愛するということについて、深く考え続けてきた方なんだなあということは、前に読んだ『忘却の河』や『草の花』からも伝わってきました。
そんなふうに深く、自分の存在をかけて人を愛したことはないなあと、こういうのを読むたびに思います……
もっと若いうちに読んでいれば良かったかも、とも思い、あるいはもっと人生経験を積んでから読んだらまた印象が違うかもしれないとも。
孤独とは、忌み嫌うべきものではなくて、自らのうちに抱え続けていくもの。人を愛することで消えてなくなるものではなく、死ぬまで抱え続けていくもの。そういう考え方は、なんていうか、すごくしっくりくるなあって思います。
ちょっと引用。
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二人の人間が一つの愛に統一されているならば、彼等は、自己の眼で見ると共に、常に相手の眼でも物を見なければならぬ。相手の傷を自分も嘗めなければならぬ。それでこそ孤独が癒される筈なのだ。しかし悲しいかな、人は傷つけられたのが自己の、自分一人の、孤独だと思いやすいし、相手が無条件にそれに同情してくれることを望みたがるのだ。まるで愛する対象が、自分のためのものであるかのように。自分もまた、相手のためのものであることを忘れたかのように。
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読みながら、むかし、カトリックの方から聞いたお話のことを思い出していました。
そういえば福永さんは、キリスト教にご縁の深い作家さんなのだそうです。わたしはいいかげんな仏教徒ではありますが、愛されることよりも愛することに重きをおくカトリックの精神は、実践するのがなかなか難しいものであるだけに、すごく憧れるところがあります。
そういうことを、教義や議論の中にあえていわなくてはならないというのは、本来の人が、愛されることばかりを望みやすい生き物だからなのでしょうけれど。
プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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