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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。

 靴のお手入れの知識が身について、女子力が上がったような気がしたけれど、よくよく考えれば、それはどちらかといえばむしろ男子力ではないのか、という気付きたくない事実。

 それはさておき。なんでもかんでも安物で済ませようとして、かえって短期間で使いつぶすようなことの多い庶民のひとりとしては、ひとつのものを手入れをしながら長く大事に使う、ということには、いつも漠然とした憧れがあります。
 べつに高いものに限らないっていうか、要は何かを気にいって長く愛用すればそれでいいのですが、靴のように、品によっては安物はすぐ駄目になるなあと思います。……わたしの歩き方が悪いだけで、きれいな歩き方の人はもしかしたらそんなにすぐにはダメにしないのかもしれないのですが……。
 あとはメンテナンスの手間だよね。無精するからいけないんだよ。わかってはいるの。わかっては。

 しかし、猫と暮らすということは、しばしばモノを駄目にされるということでもありますね。爪をとがれたり毛だらけにされたり吐かれたりね……(遠い目)
 しつけができていないのですが、人間のほうにそもそもしつけるつもりがないので、もうどうしようもありません。人間のほうがもはやすっかり飼いならされて、「猫の目につくところに大事なものを置いているほうが悪いんだ」という思考回路になっているっていう。

 靴は、まあさっさと靴箱にしまえば被害にもあわないのですが、バッグがいつも、とても悲しいことになります。その辺に置いとくからいけないんだと思って、高いところにかけておいたりしても、どこまでものぼっていくしね、猫……。
 タンスの中とかにしまえばいいんですけど。毎日ちゃんとしまいこめるかっていうと……。いつもすぐ忘れます。そして爪をとがれる。
 結局のところ、自分がずぼらなのが何もかもいけないという気はします。

 猫を飼うということは、物欲を捨てる修行の第一歩なのかもしれません。
 でもそのおかげで、どうせなんでもすぐ駄目にされるんだからと思って、ますます安物ばかり買う癖がついてる。そんでよけいに扱いが雑になるよねっていう。
 物に執着しないというのは、それはそれでひとつの生き方ですが、しかし物を欲しいと思わないということと、物をどんどん使い捨てにしても気にしないというのとは、まったく違うなと思います。

 少ないものを持ち、それを大事に手入れしながら使う。
 個人的な理想をいえばそういう暮らしになるはずなんだけど、でも、頭で思うのとやれるのは違うよねっていう。しょっちゅうものを粗末にしてばかりいるような気がします。
 ちょっと反省。

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 唐突に脈絡もなく靴の話なのですが、不詳わたくし、非オシャレ系女子であるばかりでなく、もともとが経済的に苦しい家庭に生まれ育ったものですから、お育ちがよろしくなくて、靴は安いのでいいと、頭っから決めつけて暮らしておりました。
 良くも悪くも、それでやいのやいのいう家族もおりませんでしたので、二千円台とか三千円台とかの靴を履きつぶしては買い替え、みたいな生活を、社会人になってからもふつうに続けていました。高いのっていったら結婚式用に買ったやつしかないよねみたいな。
 歩き方が悪いので、すぐ靴を駄目にします。だから、高いの買うのもったいないよねっていうのもあったし。

 が、ある日たまたま、人に会わねばならないというのに、うっかりしてボロボロな靴を履いてでかけてしまいまして。そろそろ捨てるつもりだった、汚いやつ。迷った挙句に見栄が勝って、待ち合わせ前に、近くにあった靴屋さんに飛び込んだんです。
 ところが入ったのが小さな靴屋さんでして、自分にあうサイズで普段から履けるようなデザインの靴が、ない。いや、一足だけ許容範囲のがある。が、高い。一万数千円也。普段履いてるのが三足も四足も買える。

 しかし、間の悪いことに近くでほかの靴屋を知らない。このまま汚い靴で向かうか、涙をのんで福沢さんに別れを告げるか。
 三十秒悩んで、買うことにしました。

 そのときには心で泣いていたのですが、数か月後、ふと気付いたんです。あれ、この靴、ものすごく頑丈だぞ……?
 雑に履いてるのに、何か月たっても形がほとんど崩れない。傷もつきにくい。外側もだけど、中敷きも頑丈。そしてとても歩きやすい。

 デザインは、可愛くもなんともない、武骨というか無難というか、女子力の欠片もないようなやつなんですが。しかし逆にいえば、それってつまりお値段の大部分が、デザインやブランド台じゃなくて、素材やつくりに懸かっているということなんでしょう。とにかくへたれません。

 目からうろこがぼろぼろ落ちました。靴に金をかけるというのは、オシャレのために奮発する覚悟のある人か、立ち仕事の人か、そうでなければ営業や販売のように、ファッションが仕事に求められる人がしたらいいことだと思ってた。
 違うんだね。三千円の靴を四足履きつぶすのと同じ期間、ほとんどへたれもせずに長持ちしてくれる頑丈な靴があるんなら、そりゃ四倍の金をかける価値はあるよね。

 で、その靴をだいぶ長いことヘビーローテーション極まる感じで履いていて、さすがにだんだん傷が目につくようになってきたので、一度は「ああ、これまでか……」と思ったのだけれど、「ん、待てよ。本革だよな……?」と気付き、グーグル先生に頼って手入れの仕方を調べました。そんで1500円くらいかけて、靴用のブラシとクリーナーとお手入れクリームを買ってきました。で、スマホの画面とにらめっこしながら、こすったり拭いたり塗ったりして、古布でごしごしごしごし……

 ……きれいになった……。(愕然)
 ツヤが戻ったとかいうだけじゃなくて、一気に傷が目立たなくなりました。よく見ないとわからないくらい。
 なんてこった。これが革の力なのか……。
 ほんとはね、靴ってそもそも、こまめに手入れして履くものらしいんですよね。なんかなんとなく聞きかじってはいたけれど、正直、別世界の出来事だと思ってた。手入れをして大事に履くような靴を買う機会はそうそうなかろうと。

 ふだん無精してほぼ履きっぱなしにしているわけだけど、まじめに反省した。これから靴はときどき手入れしながら長く履く。また買い替えるときがきたら、ちゃんと長持ちするやつを選ぶ。
 でも、そこそこのお値段してもすぐボロボロになる靴もあるらしいので、問題はどうやって見分けるかだな……。

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それは心を焼き尽くすような」に拍手をいただいていました。ありがとうございます!


 つたない掌編ではありますが、中に出てくる、
> 人工知能の思考プロセスにだって、そのくらいの矛盾はある。
 ……っていう一文がなんかいまでも妙に好きで(自分で書いておいて臆面もなく)、機械っぽくないやけに人間臭いAIって、やっぱり萌えだよなあと思います。(何でも「萌え」の一言で片づけるのはいかがなものか)

 真面目なハードSFがお好きな方からすると失笑モノと思いますが、しかしそれも、ただわたしの知識と技術が及ばないだけで、本当はもっと腕があれば、「妙に人間臭いんだけど、でもやっぱりAIなんだな」というような演出を入れられるんじゃないかな。そうしたら、エセSFなりにも、もっともらしく読ませられるんじゃないのかなあ……

 頭ではわかっても、いざやるのは難しいですね。何事も。

 SFの皮を被ってはいるものの、考証もへったくれもない、ただ萌えだけのための小説で、完成度とかいえば目をそらすしかないですが、それでもやっぱりああいうの、またたまに書きたいなと思います。
glass blue」とかも。あっちもなんか勢いだけで書いて、いろいろ考証不足&説明不足で、読んでもらっても意味不明なんじゃないかというシロモノになってしまって。ほんとうは気合入れて準備して書けば、いくらなんでももうちょっとうまく演出できたんだろうになと、あらためて考えれば悔しいんだけど、しかし萌えを吐き出すためだけに書いたので、それはそれでまあいいかって。(よくはないが……)

 読み返せば、自分の書けていなさに赤面するのですが、ともかく書いていて、とても楽しかったんです。まずは書いて楽しいのが、何より大事なことだなと思います。好きでやってることなんだから。
 老魔法使いの話も、まずは深く考えずに、楽しくずるずる書こうかと思ってます。客観的なことはひとまず考えず、とにかく自分が萌えるように。
 ……わたしの萌えって、もしかしてものすごく狭いニッチなんじゃないかという気がしてきていてちょっとアレですが、まあいいか。書きたかったらどんなにマニアックだろうとウケなかろうと、ともかく書くのが書き手の正義。
 …………多分。

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 きのう「ファナ・ティオトルの学び舎にて」に拍手をいただいていました。ありがとうございます!
 もとは三語小説で、その場で思いつくままに書いた話だったのですが、書いているあいだ、なんだかとても楽しかったんです。そのときの感じをちょっと思い出して、元気が出ました。感謝。

 ファナ・ティオトルのアカアシと、マルゴ・トアフのエトゥリオルは、どちらも鳥系人類ですが、そういえば、キャラクター的には真反対だったなと思います。アカアシは、異種族のなかにたったひとりで飛び込んで、日々差別を受けているにも関わらず、たいして気にもせずに平然としている子でした。
 蝋羽族の話も、また機会があれば書きたいなあと思いつつも、そういえばあれって、シャガンが母親の葬式に行く話を書きかけて放置したまま……あれ………………

 また機会があれば書きたいです(視線をそらしつつ)
 あれ、なんで書きかけて断念しちゃったんだったかなあ。
 わたしは書き終わってしばらくすると、もうその小説世界に戻っていけなくなるタイプで、シリーズの続編とかって、時間があいてしまうと、あとからはなかなか書けません。そのキャラの内側にもう入り込めなくなってしまう感じです。
 鉄は熱いうちに、無理してでも意地で打っておけばよかった。

 脳みその無意識の領域に未練が残っていれば、そのうち唐突に「いまなら書ける!」と思い立って、とっくに人様に忘れ去られたころに意味もなく続編を書きだすこともあるのですが、それが無理なら、また違う形、違う登場人物で、同じものに挑むだろうなと思います。
 ……あれ。でも、ファナ・ティオトルの中断した三話目って、わたし、いったい何を書きたかったんだったっけ?(おーい)

 そうそう、シャガン・リーの屈折した露悪癖を書きたかったんだ。
 わがままで自己本位で、傍若無人と見せかけて、あんがい繊細でヘタレなところがある的な。あれです、ギャップ萌えー。的な……(言ってて恥ずかしくない?)

 素直でけなげな子も可愛いんだけど、屈折したキャラって、妙に萌えるなと思います。ろくでなしなんだけど、本人が自分をそう思っているほどには、悪人でもないというような。

 うん。こっそり「萌えー」とかなんとかいいながら、ノリノリで書けばいいんだよね。なんか、いらんことでぐじぐじ悩んでるだけ、馬鹿みたいじゃん? だって、くよくよ深刻そうな顔して悩んでもさ、いざ書いてみたら出てくるのって、「人生とは……」みたいな文学じゃなくって、「萌えー」みたいな話じゃん?(気まずい)

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 老魔法使いの話、進行はおそいながらも、引き続きじりじり書いてます。手書きはやっぱり下書きということにして、パソコンで一から。ときどき手書きしたノートを振り返って、微調整を入れつつ。

 書きだせば、ちょっとずつでもとにかく進むし、書いているという手ごたえがあれば、出来がよくなくても、ともあれじわじわ元気が出てくるなと思います。
 このごろなかなか調子がでなかったけど、調子が出ない出ないといいながら何も書かないで、書けないことにまたクヨクヨしているよりは、書きながら、書いているものの中身にクヨクヨしているほうが、いくらかいいなと思いました。
 単純なことなんだけど、そう考えられるようになってきたということは、だいぶ復活してきたのかな。
 このままなんとか波に乗りたいです。

 まあ、また書き終わるころになれば、書けていなさにヘコんでると思います。それは、そういうサイクルだからしかたないですね。反省するタイミングに落ち込むのは、しかたない。

 進捗はというと、いまストーリーの半分ちょっと手前くらいです。字数的には、原稿用紙35枚ぶんくらい。思ったより長くなりそうだけど、イベントの制限枚数にはおさめきれるかな。できれば十一月中には書きあげたいなあ……。

 せっかくの中二病イベントです。ひとの目を気にして委縮するのをやめにして、自分の萌えを書きたいように書きましょう、という趣旨です。だから、いまは人に読んでもらうときのことを、あえてなるべく考えまいとして、自分の萌えをひたすらぎゅうぎゅう詰めて書いているのですが、その結果、まどろっこしく冗長極まりない文体の、暗くて地味ーな話になりました。
 あれ…………?

 ま、まあいいか。
 暗くて、地味で、いわゆるアンハッピーエンドですし、美形は出てこないし(どこかにねじこみたかったけれど登場させる余地がなかった)、なんかこれを書いても、はたして誰が喜んでくれるのかという気がしないでもないのですが、わたしが喜ぶから、まあいいか。いわゆる俺得というやつですね。

 まずはとにかく好きなものを書く。
 あとのことは、それが出来てから。基本に戻ります。

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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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非公開
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朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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