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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。

 なんとはなしに、じわっと焦る季節ですね。
 ふっと気付くとクリスマスの話題がテレビに流れていて、「えっ?」と思ってカレンダーを見れば、今年も残すことろひと月半。今年は去年までより読まなかったし書かなかったぞ……なんて、青褪めてみたり。なんか、年々読む量も書く量も、じわじわ減ってきていて、このままどんどん遅筆の病が進行していくんじゃないか、あっという間に読書をする体力も無くなってしまうんじゃないかと、呆然としたり……

 慌てたって始まらないのですが、慌てます。サイトもこのごろ更新してないしさ。
 日々、何もしてないわけじゃないんだけど、じゃあ何をしてるのかといえば、何をしてるんだろう……?(おーい)
 とりあえず書くほうは、うっかり引き続き「とこしえ~」の最新話の下書きを、そのまま書き進めています。万年筆とノートで……

 なんだか、いざ書いてみたらフィリオルがとんだロマンチスト野郎で、たまにふっと我に返って、「なんだこいつ……」とか思います。
 しかし、頭の中でお話として形になったのは、ここ最近のことですが、いざ書いてみれば、最初からこういう話しかあり得なかったんだなという気がして、なんだか不思議な感じがします。
「とこしえの黄昏の国」と「灼熱の海の向こう」を書き終わった時点で、この話をいつか書くことは決まっていて、そしてこういう形にしかなりようがなかったんじゃないかというような。

 しかし地味です。
 ラブロマンスなのに地味な話で、あんまり大きな盛り上がりとか、感動のクライマックス! とかないです。なんだかなあと思いますが、でもまあ、もう自分はそれでいいんじゃないかという気もしてきています。ちゃんと盛り上がる派手な話は派手な話で、もちろんなんとか挑みたいんだけど、そもそも地味な話、好きなんだもん。仕方ない。好きなら仕方ないよ。
 普段は好きなように地味な話を書いて、たまに思い出したように派手な話に挑むといいと思うよ。

 しかしなんか、老魔法使いの話よりも、もしかしたらそっちが先に書きあがるかもしれないなあという気が……いやいや、でも中二病イベントは年内いっぱいなんだよ。もうすぐですよ。あわあわ。
 自分で設定した締め切りに自分で追われてどうするよ?

 一ヵ月半で書ける量って、あんがい知れてるんですよね……そろそろ本当に慌てるべき頃合いなんじゃないのか、私。
 とりあえず週末がんばります。

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 このところわけもなく読書ペースが落ち気味なのですが、なんでなんだろうなあ。勢いの足りなさを、自分でちょっと悔しく思います。せっかくの読書の秋だったのにな。

 暦ではまだまだ秋ですが、しかし実際的には、もう冬の入り口に片足突っ込みましたね。寒いです。寒いのがすごく苦手なので、とても憂鬱なのですが、しかし冬には猫が布団に入ってくるという楽しみもあるので、まあしかたがないかと思います。ストーブの前で猫玉に混じって丸くなるという楽しみもあるしね。しかし自分の部屋が寒すぎて、パソコンの前に長時間いられません。暖房器具……

 そんなスローペースな読書生活ですが、一週間ほどかけて、バルザック「ゴリオ爺さん」を読みました。初バルザック。(オススメありがとうございます!)
 最初のほうの文章がびっくりするくらいくどくて、そのくどい言い回しが面白いような気がする瞬間と、あまりのくどさに読み飛ばしたくなる瞬間が交互にやってきていましたが、そこを堪えて読んでいたら、中盤以降、いつの間にか読みふけっていました。そして夢中になって後半を読み、読み終わってがつんとヘコみました。

 エグい小説でした。何がエグいって、猟奇描写がどうとかいうのはないのですが、「金がいかに人生を狂わせるか」というような小説でした。本来は愛情深い人からさえも、欲望が人間性を喪失させるという話です。

 お金って、怖いです。大事だし、ないと困るんだけど、あればあったで、ある以上に際限なく使いたくなります。あるうちはいいのだけれど、なくなってもその依存性から抜け出すのが難しいという、しばしば悪魔のような顔を見せる存在でもあります。
 もちろん、お金持ちの人がけちけちしてお金を遣ってくれないと、世の中の経済が回らなくなって貧乏人が困るので、お金を余らせている人には、ぜひとも浪費していただきたいものです。
 しかし人というものは、ひとたび贅沢に慣れてしまうと、そうそう後戻りはできないものですね。生まれつきお金持ちの家で育った人が、貧乏な暮らしができないというのではなく、窮乏を知っている人でさえ、一度お金を持ってしまえば、なかなかもとの暮らしに戻る覚悟が決まらないものです。以前より収入が減り、節約せねばならないというのに、あるいは自分では節約しているつもりなのに、沁みついた習慣が元のペースでの購買をさせようとします。人間は基本的に、そういう習性を持っている。

 たとえ破産して夜逃げしようが、不運に見舞われて働けない体になろうが、本来、福祉に頼って清貧に徹する覚悟さえあれば、ともかくなんとか生きてはゆける社会になっています。とても有難いことで、それに救われる人も実際にたくさんいます。でも、それを実践しつつ、その中に十分な幸福を見いだせる人は、あんがい少ない。もちろん、いないとは申しません。でも、周りがみんな豊かにしているように見えるときには、お金がないというのは、しばしばひどくつらく感じられるものです。
 なんとか窮状から抜け出して、汗水流して働いて稼げるようになれれば、それが一番いい。でもそれができない場合もある。いま自分がすでに手に持っているものだけで満足できないというのは、人間を行動に駆り立てる原動力にもなりうるけれど、それが常にプラスに働くとは限らない。大半の人というのは、そんなに強くはありません。

 社会に出て働くうちに、あるいは自分の身の回りで、お金で苦労する人を見る機会は、少なくなくて。困窮する人、飛び込んできたお金に踊らされる人たちと関わり、思い悩む機会が何度となくあって、その上でこういう小説を読むと、なんというか、ものすごく心に堪えるものがあります。本当に、お金は人をおかしくするんだよ……。
 といっても、読みたくなかったというわけではなく、いい小説でした。娘たちに盲目的に愛と金を与え続けた不幸な父親が、ただどこまでも心の清い献身的な父性の塊だというわけではなく、人間的な、エゴに満ちた存在として描かれているのがよかった。
 ちょっとしばらく忘れられなさそう。
 

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 今日、「それは心を焼き尽くすような」に拍手をいただいていました。ありがとうございます!

 母が旅行に行ってしまい、唐突に少々、家事とお猫様方の世話に追われております。家事だけならなんとかなるんだけど(手抜きするから)、猫も八匹いると、なにかと時間がかかります。帰ってきたらだいたい誰かがどこかに吐いてるしね……(そして気付かずに踏むパターン)
 まあ、普段が専業主婦の母に甘えて何もかも押しつけっぱなしているので、たまには有難みを噛み締めるといいよね……。仕事のあとだとちょっと正直疲れるけどね……(←パラサイト状態に慣れ切っている)

 たまに育児中でもない専業主婦の人が、「旦那がまったく家事を手伝わなくて」と零すのを聞くと、イラっとする瞬間があるのですが(兼業主婦の人が同じこといってるのを聞くと「うわそういう男マジむかつくわー」と思う)、わたしのような独身者でさえイラっとするんだから、フルタイムで働きつつ家事育児されてるお母さん方からすれば、もっとイラっとするでしょう。しかし、専業主婦の人の話を聞けば聞いたで、専業だからこそなんでもかんでもやらされて、高い水準での家事を要求される上に、近所づきあいという人間関係のストレスにさらされてもいたりして。その他諸々、働く女にはなかなか想像のつかない種類のイライラがあるなとも思います。「専業主婦はいいよね~」なんてチクっといわれたら、そりゃ腹も立つだろうしさ。
 そうやってなんだか、へんな溝ができてゆく。

 角田光代さんの「八日目の蝉」を読んだときにも、そういうテーマが絡んでいましたが、結婚しているかどうか、働いているかどうか、子どもがいるかどうかで、女はときにびっくりするくらいの立場の違いが生まれて、距離があいてしまうときがありますね。

 職場の中でも、育児中の人が残業できずに、しょっちゅう子どもが熱を出しては休んだり早退したり……というときに、しわ寄せをくらう独身女性との間にも、軋轢が生まれる場合があります。本人が、ごめんねごめんねと肩身が狭そうにしていれば、「まあ仕方ないか」と思っても、「子どもいるんだから仕方ないじゃない」みたいな態度で開き直られると、「それはアンタの事情でしょうが」とカチンと来る……なんていうのも、まあわからないではなかったり。

 小さい子どもがいて大変なのは、本人のせいではないかもしれないけれど、しわよせを食う側のせいでは、もっとない。しかし、じゃあ「子どもがいる女はいつも肩身狭そうにしてろ」というのも、それはそれでどんなもんかっていう。
 場合によっては育児経験者の年配の女性からさえ、「わたしの若いころはもっと苦労した」とチクチクやられたりもするしさ。
 女の敵は女というやつですね。

 なんだろう、均等法施行前後くらいの時代、男性と肩を並べて働いてきた先輩方など、とりわけ風あたりの強い中を戦ってきた人たちなので、苦労されたぶんだけ懐が深くて寛容な方もいれば、とんがってておっかない人もいたりして。まあ、個々人の性格もあるので、世代でひとくくりにするのも何なんだけど……
 自分が辛い思いをしたから、後輩たちには優しくしようと思うか、自分だって苦労して育ってきたんだから、お前らもちったあ苦労しろと思うか。まあ、後輩の立場からしてみれば、優しい先輩の方が有難いですが、でもまあ後輩が頼りないと、「自分らのころはもうちょっと○○してきたぞ」とつい思っちゃうのも、また人情かなあ。

 人間、普通にしていると、なかなか相手の立場になって考えるということが、難しい仕様になっているようです。
 自分のことに余裕があれば、まあそれなりに気遣いあえても、忙しいときの人間って、自分のことだけで手いっぱいになって、人の心を思いやる余裕をなくしがちなものですね。

 中には、どんなに自分が大変なときにもまず周囲を気遣う立派な人もいたりして、そういう人を見かけるたびに、ああ見習いたいなあと思うんだけど。いざ自分が残業続きで締め切りに追い込まれたりすると、そんな思いは完全に頭から飛んで、気付けば人に八つ当たりして自己嫌悪……なんていつものパターン。
 いつも気持ちに余裕を持てるようになりたいものですが、それがなかなか。

 ……ここ何のブログでしたっけ?(いつものことですがすみません……)

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 ここ数日老魔法使いの話を放っぽらかして、「とこしえの黄昏の国」シリーズの新作の下書きをしています。現実逃避って……怖いね……

 フィリオル(一話の語り部の死んだ旦那)視点の話です。なので若かりし頃のヴィトラカはばっちり出てきますが、アシェリは会話の中でちらりと出るだけで登場せず、ヨブやトゥイヤや、雨の国の二人連れが絡む余地はなさそうです。
 なんか、書いてもニーズがあるのかどうか大変微妙ですが、しかし思いついてしまったからには深く悩まず、ともかく書きます。そしてなぜだか、ラブロマンス系異世界ファンタジーです。
 ラブロマンス。
 自分に書けるのか、とても不安ですが、でも下書きはいちおうふつうに書けているのだから、きっと書けるんでしょう……多分。(不安)
 いざ書きあがってみたら「これラブロマンス?」っていうことはあるかもしれません。うん……

 こっちはこっちで、まだプロットを詰めつつ下書きしているところなので、最後まで順調に書けるかどうかわかりませんが、まにあえば年内……というか、順調に書けても多分年末とかです。えーと。
 お正月休みのころにあわせて何かUPできればいいのだけど……と思いつつ、近ごろ自分の遅筆ぶりがひどいので、何一つ目途が立たないっていう(涙)

 とりあえず老魔法使いの話は、中二病イベントをやっている年内がリミット。うん。がんばる。

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 本題の前に。拍手コメありがとうございました。返信が末尾にありますので、お心当たりの方は、右下の「つづきを読む」をご確認いただければ幸いです。


 部屋の掃除をしました。
 いつもサボってばかりいるので、日々とても汚い部屋で寝起きをしているのですが、マルゴ・トアフを書いているときは、行き詰るたびに掃除機をかけていました。だからその時期だけ妙に部屋が(わたしにしては)きれいで、ともかく人が住んでいるように見える部屋を維持していたのですが、ふと近ごろ見渡すと、いつの間にか元通りの汚部屋でした。
 今日、重い腰を上げて、床に散乱する本を棚に並べ、古本屋行きのマンガを仕分け、掃除機をかけました。

 人は成功体験をなぞる生き物だそうです。
 これをしたらいいことがあったから、また次も同じことをしようというわけです。「小説を書いたら○○さんに褒められちゃって嬉しかったからまた書こう」というのもそうですし、生まれて初めて食べたピーマン料理が美味しかったらピーマンを好きになるのもそう。そこに理屈は、あるようでないなと思います。頭で考えることのような、意識の表層近くの部分ではなくて、もっと内側に作用する力学だなと。

 いちおう理詰めでいけば、たとえば掃除機をかけて部屋がきれいになると気分がいいし(あんまりきれいすぎても落ち着きませんが)、気分がいいと作業がはかどるし、体を動かして血行がよくなれば、いいアイデアが浮かびやすいのかもしれません。でもそういう理屈はぜんぶ後づけです。
 なぜ再び小説に行き詰ったときに掃除機をかけるかというと、そういう筋道だった理屈があるからではなくて、「前にそうしたら筆が進んだから」という、体験に基づく感覚が背中を押しているだけだなと思います。別にその二つの事象に因果関係が見いだせなくても、多分やる。

 人にジンクスというものが生まれる仕組みだなと思います。経験則に基づく行動基準の蓄積。
 満月の光に宝くじをかざすと当たりやすいと上司が真顔で言えば、「アホか」と思うわけですが、しかし実際に自分がやっていることを振り返ってみると、まったく同じレベルの行動の反復です。あとからあれこれ理屈をつけるのは、理屈をつけないとなんとなく格好がつかないような気がして気恥ずかしいから、そうしているだけで。

 しかし反復していると、別の回路が出来ます。
「小説を書くときにはこの音楽を聴く」と決めれば、その音楽を聴くと自動的にモチベーションが上がるようにならないか……というようなことを、何年か前にやりはじめて、実際に続けてみた結果どうかというと、けっこういい感じです。
 書くときにその音楽をかければ、わりと書いているものに集中できます。それでも行き詰まるときは詰まるんだけど、その曲をかけないでいるときよりは、ずいぶん集中が続きます。(コツは、何万回聴いても飽きない曲を見つけることと、どのような雰囲気の小説にもある程度は馴染むテンポの音楽であることかな……)

 いまの問題は、書き始めてからの集中のほうではなくて、筆をとる気になるためのスイッチのほうだなあと思います。なんか、いざ書きだすまでに、長いことぐだぐだしてしまう日々です。
 とりあえず「掃除機をかけると小説を書きたくなる」という脳内スイッチを作れればいいんだけどな。
 しばらく習慣化してみるかなあ。でもやる気スイッチにしては、掃除ってそもそも面倒くさくて敷居が高いよね……(だめじゃん)


 続きはコメ返信です。

 

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朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
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非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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