「盗っ人」にも拍手をいただいていました。ありがとうございます。お目汚し大変失礼いたしました!
出来あがりに目をつぶれば、とりあえず発作的にラクガキをするというのは、いいことだなと思いました。何も悩まず欲も出さず、ただ書きたいように書くというのは、楽しい。
そうやって楽しみながらただ無心に書いていく中で、もし何かが巧いことかみ合って佳作が生まれたりしたら、それはもちろん嬉しいことですが、そんな奇跡が起こらなくても、とにかく手を動かすというのは、悪いことではないなと思います。絵を描く人だって、作品仕上げるほかにも日々たくさんデッサンするし、そのうえで手遊びに落書きもどんどんするわけなんだしさ。文章書くのにも、同じことしたらいいと思うんだ。いろいろ試しながらさ。
ただ、絵の場合と違って、受け手側の方に時間のかかることで、ちらっと一瞥して好き嫌いのわかるものではないので、そこがネックになってくるのだけど。お忙しい方に習作にお付き合いいただいたあげく、「どこが面白いのかわからなかった……」では、あんまり心苦しいので。
そういう問題をいったん脇におけば、書き手としては、ひとつひとつの落書きの出来がどうというのは問題ではなくて、とにかく経験を積むということなんだと思います。頭であれこれ考えなくても、必要なテクニックが自然に出てくるように、肌で覚えるまで反復するというか。あと、脳みその中の文章を書いたり話を考えたりする部分を活性化したいし。
……と思ったので、懲りずにちょいちょいラクガキします。お目汚しもたくさんするかもしれませんが、気合い入れて準備したやつ以外はとりあえず「ラクガキです」または「習作です」と宣言しますので、「そんなもんいちいち読んでやるほど暇じゃないのよ!」という場合は、軽くスルーしてやっていただければと思います。ちゃんと気合い入れて書いたら、そのときは自己申告します。……し、します!(ぶるぶる)
わたしは書き終わりさえすれば、出来がどうだろうが何でもかんでもとりあえず公開するようにしているのですが、それは未熟者ゆえ、メンタルトレーニングの一環としてやっているだけで、本当はそこそこよく書けたものだけを出すほうが、理にかなっていると思います。……思います。(すみません)
メンタル弱いので、公開せずに捨てることを自分に許せば、なんでもかんでも捨てたくなるんです。それで、書けたらとにかくどんなものでも公開するというマイルールで運営しております。もはや精神修養なんだか罰ゲームなんだかわかりません。あとで恥ずかしがるくらいなら、黙って書いて黙って捨てればいいじゃないさ?
もともとは、「書いたらとにかく公開するルールでやっていけば、とにかく人様のお目にかけられるものを書こうという気概が身につくだろう」というような理由で始めた方針なので、もうなんか、いいかげん本末転倒もいいところなんですが。そのルールで四年やってきて、明らかに身についてないよね、気概。
よく目的と手段のどっちがどうなんだかよくわからなくなってます。鳥頭!
ずうっと前に書いた「かれの声」、書き終わった少しあとから、続編の構想がぼんやりとあったのですが、とっくに忘れたつもりのいまごろになって、頭の奥から再度ぼやっと浮かび上がってきました。やっぱり未練、あったのね……。
しかたないので、とりあえずおおざっぱなプロットに起こしてノートに書きとめてはみたのですが、なんかちょっと難しい話で、いますぐ書きだせるかというと、うーん?
でも、いまだに忘れてないってことは、おそらく実際に書くまではずっと未練になって、頭のどっか隅っこのほうを占領し続けるんだろうなと思います。
忸怩たる思いがあるのは、話の中身がむずかしいからだけじゃなくて、モリゴエと佐波が大学生だからっていうのもあるんですよね。自分がキャンパスライフを経験してないから、なんか細部がイメージできてないっていうか、想像だけでへんなこと書きそうでなあ。まあ、そういうのはだいたい書けたところで大卒の友人とかに読んでもらったらいい話なんですけどね。
漠然と暖めておいて、いつか「いまなら書ける」というタイミングが来たら、そのときに書こうと思うのですが、しかし、自分の執念深さに複雑な思いです。結局のところさ、一度書きたいと思った話は、書きあげるまで成仏してくれないんだよね……。
何年も経ってから続編なんて書いたって、いまさらにもほどがあるという気はするのですが。書く前にうっかり死んでなければ、いつか書きます。いつか……。
今日は、お猫さまが机上にチャイをぶちまけてくれて、ノートが一冊全損しました。(パソコンが無事でよかった)
「鳥たちの楽園」の構想ノートでした。これも書こうと思ってからもう半年かそこら、暖めっぱなしで放置している気がします。
万年筆のインキは基本水性なので、ものの見事に流れて消えました。しかたないので、忘れないうちに要点を新しいノートにメモしなおしまして、プロットもあらためて整理しました。そこまでしたのに、まだなんとなく書きだしあぐねています。近々書こうとは思いつつ……
考えてから書くまでに間が空くと、それだけ内容を練る時間もとれますが、反面、ああいうエピソードも入れないといけないとか、こういうところ掘り下げておいたほうがいいんじゃないかとか、いろいろ考え過ぎてしまって、書くのにかえって手こずる気がします。なんでも思いついたその瞬間に、その場の勢いでとにかく書いておいたほうがさ、後々楽なんじゃないの……? その場の思いつきでは足りないところはさ、書き続けるうちにだんだん勘で埋めていけるようになったりするんじゃない? とか思ったり思わなかったり。(どっち)
どういうやり方が自分に合っているのか、いつまでも把握できません。構想の暖め方とか、世界観の作り方とか、書くときの下書きの有無とか、諸々「このあいだこういう手順で書いてうまくいった気がするから、今度も同じようにしよう」なんて思っても、結局はうまくいかなかったりします。一作一作、試行錯誤するしかないのよね。こういうやり方が楽とか、たぶん、ないんですよね……。
まあ、焦らずいくか。焦らないと腕が上がる前に死んでしまうー、とも思うけど、焦って空回りしてるばっかりでもしょうがないもんね。
なんとなく読書づいていて、このところ、黙々と本を読んでいました。今週は連城三紀彦「恋文・私の叔父さん」「白光」、安部公房「R62の悲劇・鉛の卵」、集英社文庫編集部編「短編工場」、浅田次郎「夕映え天使」。
「恋文・私の叔父さん」は短編集なのですが、五本収録されている短編の五本ともが、見事にツボのど真ん中で、「なにこれこんな本が世の中にあっていいの……?」と呆然となりました。「白光」も(こちらは酷い話なので、読む人を選ぶところがあるかもしれませんが)とても良かった。連城三紀彦は前に「戻り川心中」を読んだきり、そのうちのんびり追いかけようと思っていたのですが、ちょっと本格的にハマりそうです。とりあえず地元書店においてあるやつから揃えていこうっと。
読むのに熱中していたおかげで、書く方の手がまたぞろとまっていて、ちょっと焦らないでもないのですが、まあ、どうせもともと定期的に読んで充電しないと書けないし……(言い訳)
どうせそのうち書くスイッチ入ったら、逆に読むほうが止まりがちになるし。そうなったら今度は、読めなくて焦るんだしさ……。
ずっと追いかけている作家さんの新作や、好きなシリーズの新刊を読む前に、うっかり死んだり世界が滅亡したりしたらいやだなあと、わりとよく本気で思います。でもいずれ死に際になったら、ぜったい何かしら未練が残ってるよね。「ああ、○○の新刊が読みたかった……」が今際の際の言葉だったらどうしよう。
さておき。読んだ本の感想を、そのときどきの気分でなんとなくここに書いたり、手帳のほうに手書きしたり、ツイッターで呟いたり呟かなかったりしていたのですが、情報が散逸しているというか、ふと自分でふりかえりたいときに、もはやどこになんの感想をメモしたのかわからないという事態に陥っていました。
せっかく読んだ本をブクログに登録するようにしているんだし、ひとこと感想でも何でも、とにかくブクログレビューのほうに投稿して、そこから自動でツイッターにポストしたらいいんだよね。それなら二度手間にならないし……。ということにようやく気付きまして、連携機能の設定をしてきました。情報の一元化って大事だよね……。
週末、道尾秀介「月と蟹」に、安部公房「壁」「箱男」と、三冊一気読みしました。なんか本に飢えてました……
ツイッターでもぶつぶつ呟いていましたが、「月と蟹」はすごかったです。すごすぎて、読んでいて主人公の気持ちに引きずられて、中盤がとても苦しかった。が、最後まで読んだらやっぱりすごくよかった。これまで読んだ道尾さんの本の中で、一番好きだなと思います。
安部公房は、上記の二冊はそれぞれ面白いながらも、シュールレアリスムだったりメタフィクション的構造があったりして、少々凡人には理解の及びがたい部分もありました。好みとしては前に読んだ「砂の女」のほうが好きだなと思います。
しかし、美文です。そして三冊読んで、三冊とも文体への印象ががらりと違いました。幅の広い作家さんなのだなあと思います。またおいおい、ゆっくり追いかけようと思います。
もうちょっと前の話をすると、年始に米原万里「パンツの面目 ふんどしの沽券」も読んでました。
タイトルを聞くと笑いますが、すごい真面目な本です。真面目です。大事なことなので二回言いました。
たいへん面白かったです。下着文化の歴史や変遷や精神性を、多角的な視点から考察されたエッセイでした。あまりに面白かったので、米原さんの本はまた探してみようと思います。
去年はわりと海外古典を読む機会が続いたので、今年は国内作家ももっと読みたいなあ。
書くほうはというと、前にここでぼんやり構想を書いていた、母が浮気していたという娘の一人語りな話(タイトル未定)を、とりあえず書いています。短編です。あとちょっとで初稿が書きあがりますが、我ながら、「誰が読んでくれるんだこれ……」と途方に暮れるような内容でした。うん……。
まあ、書きたいと思ってしまったからには書くしか仕方がないので、それはいいのですが、問題はどこで発表するかだなあと思います。自分とこのサイトに置くのも、なんかカラーが違う気がする……だけど、現代小説専用のサイトをもういっこ作って管理する気概もないです。そもそも現代小説自体をたまにしか書かないし。
こういうとき(サイトカラーにそぐわないものを書いてしまったとき)、ほかのオンノベ書きの方々はどうされているのでしょうか。なろうとかに別名で投稿したらいいのかな。それでもいいかな……
書いたらとにかく公開するマイルールは、何かの形で守るとして、うっかり誰にも読んでもらえなくても、この短編に関しては、別にそれならそれでいいかなあという気がしています。だってただ書きたかっただけだもんね。
そんな不抜けた気概でどうする、と思わないでもないのですが。まあでも、面白いものを書きたいとか、ウケたいとか、そういう動機だけでものを書いてるわけでもないしなあ……。(そういう動機で書いているときもありますが)
それでもともかく書いたからには、できれば誰かに読んでもらうのがいいには決まっているのですが、なんか、つきあいとか義理とかで、面白くないのを無理して読んでもらったりはしたくないんだよなあと思います。
そんなこというなら、そもそも「毎回かならず面白いのを書くぞ」くらいの気概を持てよ、という話なのですが。結果はともかく、意気込みとしてはさ。
わかってはいるんですけど……それがやれるだけの精神的タフさがないんだよなあ。不甲斐ない話です。
……はっ、いかんいかん。クヨクヨするヒマにどんどん書く! 書けば結果はともかく修行にはなる!(自己暗示中)
どのみちまだ推敲に時間を取るので、ゆっくり考えつつ、次書くものを練ります。
ときどき思い出してなろうさんのユーザページを確認にいくのですが(コメントがついたり感想がきても、自分でページを見にいかないと通知がこない仕様)、「マルゴ・トアフの銀の鳥」のお気に入りや評価点が、いまでもたまに増えているようで、有難いことです。
「嘆きの森」のほうも。こちらはサーチなどでの宣伝はしなかったのですが、お気に入り登録や評価を入れてくださった方が何名様かいらしたようで、なんていうかもう本当に、申し訳ないやら有難いやらであります。すみません……なんだろう。もうちょっと胸張って、いつかは胸張って「読んでください!」っていえるものを書けるよう、精進したいと思います。
とこしえ新作は、どうしても書きだすにはまだ何かが足りないという気がして(気合いだけじゃなくて)、でも何が足りないのかはっきりしないので、もう少し寝かせてから書きだすことにしました。なんか、早く書きたいような気持ちはあるんだけど、その焦りのせいか、だんだん頭が固くなってきた気がするので、いったんちょっと間を置きたいなと。何かの企画に出すわけではないし、焦らずいきます。
ほかになんとなく書きたいような話の、ぼんやりした構想がいくつかあるので、短いものや、書けそうな気がしたものから順番に、書けるところまでとりあえず書いてみようかなと思います。年度末の繁忙期がやってくる前に、ひとつかふたつでも仕上げられたらいいな。久しぶりに現代小説で、書きたい気がする話があるので、もしかしたらそちらが先になるのかも。
わたしの書く現代小説に、ニーズがどれだけあるのかとか、考え出すととても微妙な気はするのですが、あまり深く悩まずに、書きたいものはとりあえず書いてみます。修行中の身なんだから、ためしに何でも書いてみるのがいいんじゃないかな。そこがアマチュアの強みなんだし。
あと美形修行も忘れてません。こ、今年こそは書くよ、美形!
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