「鳥たちの楽園」と「天眼の鬼」に拍手いただいていました。ありがとうございます!
例年のことではありますが、近ごろは忙しくしているか疲れてぼんやりしているかの二択で、ふと気がつくと時間だけが過ぎ去っています。新しい仕事そのものに不慣れで緊張しているのと、人間関係の微妙なアレコレに気を遣ってしまうのとで、単純な残業時間的には3月後半よりは少ないのですが、とにかく一日が終わるとぐったり疲れています。とりあえずなんとかして早いところ環境に慣れて、仕事のほうも、手の抜きどころを掴みたいものです。
現実逃避なくして生きてゆけない体質なので、読むほうはなんだかんだで隙間時間を見つけて、せっせと読んでいます。
これも現実逃避なのか、ふっと何かの合間に書きたい気がする題材だったり、ここのブログで書こうかなと思う話題が浮かんだりする瞬間もあるのですが、非常に遺憾ながら、日々の雑事に紛れてすぐ忘れます。何かを思いついた、という漠然とした記憶だけが後に取り残されるという……(くっ……)
思いついた端からメモしておかないといけないんだけど、仕事中にポケットからノート引っ張り出して小説のネタをメモっていうわけにもいかないですしね……早くおわれ繁忙期。
まあ幸いにも年がら年じゅう残業三昧というような部署ではないようですので、慣れるまでの辛抱と割り切って、無理しすぎない程度に働きます。
ついつい弱音ばかりこぼしていますが、悪いことばかりでもなく、新しく出来ることがひとつずつ増えていく、という単純な喜びもあります。ずっと同じ仕事について狭い分野に習熟していくのも、それはそれで悪くないけど、これまでの仕事で身につけた知識が複合的に繋がっていくっていうのも、けっこう楽しいです。
もうけっこう長いこと働いてるんだから、そろそろ中堅というか、頼れるベテランになりたいところなのですが、仕事の知識がどうとかいう前に、まず人間が出来ていないので、やっぱりちょっとしたことで慌てふためいたり、忙しいときにはしばしば余裕がなくなって人間関係でやらかしてしまったり、まあ相変わらずです。一喜一憂しつつ、まあ人間そんなにすぐには成長しないよねーとか自分に言い聞かせています。
まあ、ぼちぼち無理なく。
自分がこれだけ色々やらかすのだから、そのぶんできるだけ人の失敗や欠点にも寛容でありたいものだなと思います。思うだけで、実際には苛々しちゃったりするんだけども。
先日、非常に久しぶりに会った同期が、かつての印象からぐっと丸くなっていたりして、年月というものの効用をあらためて思いました。基本的に人間というのは育つものです。放っておいても勝手に自力で育つ人間もいますが、そうでなくても、周りに育てようという姿勢があれば、大抵の人間はゆっくりでも育ちます。成長パラメータにばらつきはあるにしても。
また別の場所ですが、未熟な人間の、未熟さを堪え切れずに責める先輩を目撃しました。責められた方は、叱られ過ぎて委縮してしまっていました。叱られるほうにも問題はあるかもしれない、やる気や姿勢が足らないかもしれない。それでも時間と環境さえあれば育つだろう人材が、こうして潰されてゆくのだという気がして、暗澹たる気分になりました。
自分が入ったばかりのとき、高校新卒でアルバイト経験さえなく、尻に殻をつけたどころか、殻からまだ片足をおっかなびっくり出しかけて迷っているような、まったくの役立たずでした。そのときわたしは幸いにも先輩に恵まれて、仕事を一から十まで手取り足取り教えてもらいました。先輩は、よく人を褒めるひとでした。
まず想定しうる失敗は片っぱしからひととおりやらかしたと思いますし(というか、いまでもよく色々やる)、いまだに不得手な人間関係というやつが、当時はもちろんいま以上に全く駄目で、苛々させたことは数え切れなかったんじゃないかと思います。
なのに、その頃、ほとんど怒られた記憶がありません。
本当にまずいことをやらかしたときだけ、当時の上司は、諄々と言い諭してくださいました。その上で、後からフォローの言葉までもらいました。温かい職場でした。いま思えば、有難いことでした。
いまでもおそらく世間一般の物差しではかって、温かい職場ではある気はします。それでもずいぶん、雰囲気が変わったなと思います。長い不景気と、そこから派生した人手不足、忙しさから、後進を気長に育てようという意識が、なかなか持ちにくい時代なのだなと思います。みんなそれどころじゃない、自分のことで手いっぱい。
忙しいと人間、周りを気遣う余裕がなくなります。暇でも陰険な人は陰険だし、自分がどんなに忙しくても周りに優しい人もいるけれど、そういう例外を除いた多くの人間は、自分に余力があれば人を気遣えるけれど、忙しくなるとそれができなくなります。
ぎりぎりの人件費で回そうとすることが、いかに余計な無駄を増やすことかと思います。人手が余りすぎるのもどうかとは思いますが、職場に人を育てる寛容さ、余裕がなくなれば、若手が育たなくなる。一年か二年、給料だの保険料だのを何百万か払って、結果その人材がつぶれて辞めていく。経験が蓄積されずに、また入ってきた新人に一から教えなくてはならない。
削るコストはそこではないだろう、と思ったり。
……と、なんとなく暗い話題をずるずると、失礼いたしました。なんかねー、佐々木倫子さんのマンガじゃないけど、「バカ枠」採用があるくらいの余裕が企業一般に欲しいよねー。
引き続きよろよろしながら働いてます。なんだかちょっと無理すると、回復にやたら時間のかかるお年頃になってきたのですが、まあ仕事で忙しい時期になったらなんだかんだ無理しないわけにもいかないよねっていうか……(ぐったり)
年中お忙しくしておられる方々を思えば、おおいに情けない話ではありますが、いかんせん基礎体力も精神的タフネスもないので、できるだけ身の丈にあった働き方をしたいものです。(いまからでも運動して体力をつけようかという気は全くない)
浅田次郎さんのエッセイを読んでいたら、「自分が作家という商売のわりに心身の健康を保っていられるのは、二十二時就寝で夜明けとともに起きる、長年の早寝早起きの習慣のおかげではないか。人間の細胞は深夜に作られるから、その時間に眠っていない人間は老化が早いという」というような話題が出てきたので、真偽はともかくぜひとも真に受けて22時就寝の女になりたいものだと思いました。
いま、通常の時期で23時就寝です。繁忙期は残業で遅くなるのでだいたい23時半から0時くらい。それでも世間様よりはだいぶ早寝だと思うのですが。
頑張ればあと一時間早めることができないわけではない、が……そうしたところで一時間ぶん早起きできる気はしないな。うん……
ちなみにその話の後に、「ただし人付き合いができないので親しくする人はめっきり減る」という余談がくっついていました。まあね。飲み会とかあったら22時就寝なんか無理だよね。
仕事の方は、例年だいたい五月上旬くらいには落ち着くので、あと一か月の辛抱と思ってなんとか耐えます。とりあえず明日は家で四月からの仕事の勉強。べんきょう……べんきょうきらい……(子どもか)
「鳥たちの楽園」に拍手いただいていました。ありがとうございました!
美形修行のつもりで書きだした話が、あまり美形萌えっぽくならなくて、しょんぼり膝を抱えています。しかも、またしてもオチが投げっぱというか、スッキリしない感じの結びだったり……。「読んだー!」みたいなスカっとする話を書けたら楽しいのになあ。「次はこういう話を書くぞ!」みたいに決意してそのとおりのものを書いた試しがありません(しょんぼり)
仕事のほうも慌ただしくなってきていることだし、はっきりいつ書きあがるかというような目途は立っていませんが、書きあがりましたら、またどこかで垂れ流します。
諸々落書きしてみたり、短いのを書こうとしてみて途中で挫折してみたり、現実逃避に猫と遊んだり、読んだり読んだり読んだりしています。この週末は、冲方丁「光圀伝」が面白すぎてうっかり深夜まで一気読みしたりしてました。
ただでさえ遅筆なので、ろくろく書き進まない現状に焦る気持ちはあるんですけど、経験上焦れば焦るだけ書けなくなるので、無理なくちびちび書きつつ、とりあえず読めるだけ読もうと思います。ガマンすると書けない苛々の上に、読むの我慢してる苛々まで積み重なるしさ……
読んだものが血肉になって、いずれ自分の小説に活きてくると考えれば、けして現実逃避だけではなく、書くための修養の一環でもあると嘯けないこともないのですが、自分の胸に聞いてみると、「いや単に読みたいだけでしょ?」という返事が返ってきます。うん、まあね。
読書による現実逃避は大事ですね。精神安定剤的な意味で。
読むモードに入ったのを幸いに、この際がしがし読んで、机の上の積読を少し減らしたいものです。年度末もやってくることだし!
毎年恒例なのですが、業務多忙につき、3月後半~4月いっぱいは半休止状態になります。もうちょっとしたらサイトトップにも表示しておきます。そもそも普段から更新遅いんで、大差ないといえばないのですが……(悲しい事実)
ネットに何日か上ってこなかったりしても御心配なく、元気に日々働いております。レスポンスが遅れがちになる場合がございますが、どうぞご容赦くださいませ。
迫りくる繁忙期を直視したくないがための現実逃避か、あるいは一本書きあがったことによる安心のためか、ここ数日は読むモードに入り込んで、黙々と読んでいました。
先日文庫化された梨木香歩「渡りの足跡」と池澤夏樹「星に降る雪」、同じく新刊「双頭の船」、宮部みゆき「桜ほうさら」と、前からちょこちょこつまみ読みしていた開高健「私の釣魚大全」と連日読了しまして、同「ピカソはほんまに天才か」がもうちょっとで読みおわりそう。つぎは積読の中からどれに手を伸ばすべきか悩み中です。
そして、順調に読んでいるのにいったいどういうわけか、ちっとも積読が減りません。解せぬ……(※読む端から買うからですよね?)
いま、紙の積読が十冊あまりと、電子書籍の積読が二十冊ばかりあります。積読がもう少し片付くまではいったん新しく本を買うのをやめよう……とかいうようなことを、このごろずっと思っているような気がするのですが、ふとスマホアプリの家計簿の書籍の額を見ると、いつの間にかかさんでいます。おかしいなあ……なんでかなあ……(そういう病気です)
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