小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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風邪っぴきで鼻を垂らしています。頭ぼーっとする……と思ったところで、そもそも自分にぼーっとしてなかった時期があったのかどうかもあやしいような気がしてきました。目的意識とかあんまりないまま生きてきたよね。……そういう問題じゃないか。
知人に猫アレルギーの人が何人かいるんですが、ひとりは自分が猫アレルギーだということに長らく気がついておらず、長いことずっと体調が低空飛行のままだったので、慣れてしまってそういうものなんだと思っていたそうです。で猫と暮らしていた実家を出たとたん体調良くなったんだって……き、気の毒すぎる。
不調の原因をつきとめるのってなかなか大変なことですよね。
いまの自分の鼻たれもさ、風邪と思ってたら風邪じゃなくて、部屋とか片付けたら改善したりして。それはないか。(明らかに風邪の症状出てます)
ていうか連休中こそは掃除をしようと思ってたのに。なかなか壮絶なことになっています。繁忙期のせいにしてさぼってたんですが、ひきつづき風邪のせいにしてさぼっています。次の週末はすでに仕事入ってるしな……いつになったら掃除機をかけられるんだ。
掃除機くらいさっとかけろよという話なんですが、そもそも掃除機をかけられるレベルで畳が露出してません。読んだ本とか読んでない本とか猫が蹴落とした書類やノートとか散乱してます。これはひどい。
なんでこんなしょうもない話を書いているかというと、まあ風邪でぼーっとしているからなんですが、このごろブログというか、文章を書くという行為そのものから遠ざかっている自分にふと焦ったからだったりも……しょうもないことでもとりあえずなんでもかんでも思い立ったときに書いとこうかなって……
中身のある話を書こうよ中身のあることを。
でもいま何かすぐ書ける差し障りのない話題っていったら、仕事の愚痴とかになるしな……(それもどうか)
微妙に差し障りのなくもない話ならあるんですが。
昨日の記事に書いた交通事故の野良ちゃんは、引き続き病院で経過観察中です。昨日よりはましだけど、まだ予断を許さない状況とのこと。事故のときに目もやられてるから、そっちもゆくゆくは摘出しないといけないかもと言われています。
体格のいいふわっふわの猫で、よく太っています。力もけっこう強くて、見つけて病院につれてゆくために抱き上げたときには、怒って暴れてました。今日もまだぜいぜい言っているらしくて(祝日なので病院自体は閉まっていて、先生から電話で状況を伺った)、呼吸があらいのは、肺が一部潰れてるからなんだって。苦しいよね。
ちびちゃんのときにも考えたことではあるのですが、もし助からないのなら、放っておいたほうがよけいに苦しませなくて済んだのかもしれないなとか、やっぱり考えちゃいますね。でも、どう見てもこれは助からないというのならあきらめもつくけど、もしかしたら助かるかもって思っちゃうとなあ……
生きてて助かる可能性がちょっとでもあるかぎりは、本人(猫)も生きたいんじゃないかなと思ってしまうのは、自分自身が「これならいますぐ死んだ方がましだ」と思うほどの目には遭ったことがないからなのかもしれないんだけども。
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繁忙期もあと一息です。この連休は半日だけ出て、あとは休んでいます。5月11日の週、の半ばくらいからは落ち着くかなと予想……というか期待というか願望というか。願望で終わらず落ち着かせます。いつまでも無茶な残業を続けていたらいいかげんぶっ倒れるわ。
倒れはしませんでしたが、体調は崩しかけました。というか休んだところで疲れが出たのか、いまちょっと風邪気味で、具合が悪いというほどではないのだけれど、連休後半、おとなしくしています。
休みに入る前は、いいかげん今度の休みこそ散らかり放題の部屋を片付けようと思っていたのだけれど…………明日考えよう明日。(投げた)
ここしばらくほとんど仕事しかしていないような気がしていたのですが、部屋が散らかるんだからそんなことはないな。なんだかんだで漫画や本を読み散らかしたりしています。寝る前に、丸一日ずっと自分のための時間がなかったことが悔しくて、ちょっと何か読んじゃうの……その時間があるならさっさと寝たほうがいいってわかってはいるんだけど!
ここに書こうかなと思ったことは、じつはたくさんあったのだけれど、ネットに書き込むようなことかなあと思ううちに、つい書きそびれてしまっています。だけど、紙の日記はどうしても続けられなくて、生活のログがどこにも残らないので、自分用の備忘のつもりで、簡単にでも書き留めておこうかな。(チラシの裏……)
1月からしばらく、ちびちゃんのお世話をするのを前提に生活をしていたので、まだときどき「ああそうか、もうついていなくてもいいんだった」と思ってはっとするときがあります。大きくなるまで育ててあげられなくて悪かったなあとか、ああいう世話の仕方で本当によかったのかなとか、長くないんだったらもっと撫でたり抱いたりしてあげたらよかったなとか、時間ができちゃうとあれこれ考えてしまったりも、まだときどきします。
悲しいときやしんどいときには、誰かに話したり日記に書いたりすることで、気持ちの整理がつくという話は、前から言われていることではあるけれど、別に気持ちの整理をつけたいというか、すっきりしたいわけではないんだよなあとか、いらんことをごちゃごちゃ考えてしまう自分が、いちいち面倒くさかったりもします。
だけど書かなかったことは、いつかそのまま忘れちゃうんだよね。どっちがいいのか。
で、そんなこんなしているうちに、うちのすぐ近くで猫が交通事故にあっているのを発見しました。発見ていうか、近所の人が、うちに猫がたくさんいるのを知っているから、「おたくの猫じゃない?」って教えてくれたんです。
うちの子たちは幸いにも家の中にいたので、違うのはわかっていたんですが、見に行ってみたらまだじたばたしていて、夜だったんですが、いつもの先生に電話して駆け込みました。獣医さんてほんと大変なお仕事だなあ……いつもすみません……
猫が飛び出すときは、本当に急に来るので、間に合わないときもあるのはわかっています。自分もまがりなりにも車を運転する身だから、まだ動物を轢いたことはないけれど、ぎりぎりで危なかったことは何度かあったし、轢いたドライバーを非難する資格もないんだけども。しかしながら、自分が轢いた猫がその場でまだじたばたもがいてる状況で、ほっといてそのまま去るわけね……? とは思わないではいられませんね……その瞬間を目撃したわけじゃないから、どういう状況だったかわかんないけど。
まあ見知らぬ誰かにいつまでも腹を立てていてもしょうがないか。
これを書いている今も、まだそのまま動物病院に預けて様子をみてもらっています。
レントゲンを撮ってもらったら、肋骨が折れて、肺も片方、すこし潰れているみたいです。頭もけっこう打っているみたいだから、どうかなあ。可哀想に。
栄養状態がよかったようで、体格もいいし毛づやもいいし、もしかしたら家猫かもしれないので、もし助かったらあとで飼い主さんを探してみます。退院できて、飼い主さんが見つからなかったら、そのままうちに置くつもりだけども、まあそれもまず生き延びたらの話かな。
元気になったらいいなあ。
前回の記事にコメントをいただいていました。ありがとうございました。末尾に返信がございますので、お心当たりの方はご確認いただければ幸いです。
また、先日、「クローズド・アクアリウム」に拍手を頂戴していました。お読みいただきありがとうございました。
宣言通り日々働いています。日曜の休みはかろうじて死守。
いまの仕事はチームで手分けしているので、自分がやらなかった分が、そのまま丸ごと他の誰かの負担になってしまいます。全員が全員、必死こいて遅くまで残っているので、自分だけ早く切り上げて帰るということが、ものすごくしづらいです。その分誰かが余計に残ることになるし、しかもわたしは実家にパラサイトしてる身分だしね……。
朝から晩までだらだら忙しいんじゃなくて、20時ごろまでは時間に追われる仕事が続いて、そこらから一息ついてようやくトーンダウンし、残りの片付け&次の日の準備に入るという有様なので、消耗が激しいです。
体を壊してはいませんが、しかしながら体力をつけるためにもりもり食べているので、順調に肥えています。こんなに働いているのに太る。理不尽!(去年も同じことを言っていたような気はする)
しかしながら、途中、お腹が空きすぎて具合悪くなったりしたので(忙しすぎて昼食を食べはぐれた)、ひらきなおってがつがつ食べます。いいよ太るよ!
こんな忙しいのは、いまの時期だけのことなんですけども。
五月上旬くらいまではまだ残業が続きますが、それでもともかく、ピークは超えたなというところ。あともう少しのあいだだけ踏ん張ります。倒れない程度に。体力ないから無理しないよ!
つづきは返信です。
悲しいご報告になってしまいましたが、火曜の早朝、ちびちゃんが息を引き取りました。
ちびちゃんの体調が下り坂になりはじめてからは、ツイッターへの更新報告は止めていたのですが、その後もまだここの日記を読んでくださっていた方がおられましたら、いい報告ができなくて心苦しいです。
行きつ戻りつだったとはいえ、脳神経系の症状が、総合的に見れば少しずつ進行していたことから、いずれ覚悟を決めなくてはいけないのかもしれないと、少し前から思ってはいたのですが。ともかく体重も(微減が続いていたとはいえ)急激に落ちることもなく、下痢が続いていたとはいえ脱水症状を起こすまではなかったし、日曜の段階ではてんかんの発作もおさまりかかっていたので、とにかくこんなに急にとは思っていなくて、心の準備が整いませんでした。
外が少し明るくなるのを待って、庭にお墓を作りました。解剖をすることまでは、とても考えきれなかったので、直接の原因が何だったのかは確認していません。母もそばで眠ってはいたのですが、目を覚ましたときにはすでに息をひきとっていたそうです。
死に顔は穏やかでしたが、あまり苦しまなかったのならいいなと思います。
寂しがりの子だったので、異変に気づかないままひとりで死なせてしまったという気がして、悔やまれます。
今日の夕方、職場から戻ってきたところで、ケージを片付けてしまったリビングを見ながら、遅れて実感が押し寄せました。わたしはいまちょうど仕事が正念場で、体力的にぎりぎりのところで働いていたので、かえって職場にいる間は気が紛れていたのですが、母はずっと家に居るので、空になったケージを見ているのが辛かったのかと思います。
弱っているのを母が拾ってきたのが、年明けごろだったと思うので、およそ3か月。最初に見たときにはかなり弱っていたのですが、そこから3か月、よく頑張ってくれたと思います。
一度はよくなりかけて、頼りない足取りながら家の中を歩き回っていた時期もあったので、その後、症状が進みはじめて歩けない状態に戻ってからもなかなかあきらめがつかず、人間の勝手な思いに付き合わせて、かえってしんどいのを長引かせてしまったという気もしています。
月曜日、逝ってしまう前の夜には、いつも以上に人間に甘えたがって、何度もこちらの手に頭をすりつけてながらごろごろ喉を鳴らしていました。もしかしてお別れのつもりだったのかなとか。そういうふうにあとから思ってしまうのは、あまりにも自分たちにとって都合のいい考えかなという気はしています。それでも、うちに拾ってこないでそのまま死なせたほうがよかったとは、どうにか思わないですむかなと。
あらためまして、ちびちゃんの闘病中、励ましのお言葉をかけてくださった方々、ありがとうございました。
今日はちょっと愚痴混じりの話題になりますので、できましたら適度にスルー推奨でお願いします。(なら書かなきゃいいのに)
ちび猫の経過ですが、あまりよくないです。症状が少しずつ進んできて、日によっては咀嚼に苦労するようになり、量を食べられなくなってきたため、ふたたび胃ろうチューブ留置に戻りました。それを機に消炎剤の種類を変えたところ、嬉しいことにてんかんの発作はほぼおさまりましたが、今度はチューブの弊害で、吐いたり下したりするようになりました。前回と同じです。
今朝もちょっとひどく吐きまして、病院につれてゆき、チューブを調整しなおしてもらいました。流動食の種類も変えて、まだ吐くかどうか少し様子見。下痢止めも飲ませることになりました。
自分の話になりますが、繁忙期は日中の業務もけっこうハードな上に、月曜からずっと残業続きで、昨日も夕方まで仕事をしていたので、すっかりへろへろになりまして。
日曜はとにかく一日ひたすら休むからと、あらかじめ家族に宣言していたのですが、今朝の騒ぎで、結局たたき起こされました。病院が飽きしだい連れて行ってくれというので。ちびさんは心配だし連れていってやりたいけれど、頭はがんがんするわ体が重くて動かないわで、かといって運転直前に頭痛薬を飲むわけにもいかないし。
母は運転免許を持たないし、父も今日は仕事の時間が微妙だったので、わたしが行くしか仕方がなかったんですが。仕方ないのがわかっていても起こされて腹が立つし、ちびさんがもっと苦しいのに自分のことで腹を立てているのが自分でも情けないし、せめて病院の開くぎりぎりまで寝かせておいてくれよとか、あれこれ思っているうちに唐突に泣きたくなって、ああいかんこれは疲れて情緒不安定になってるなと。
ちびちゃんがこんなに苦しいんだから、自分のしんどいのくらいたいしたことない、とか考えるのには、限度があるなと思いました。そんなところで自分に嘘ついてもしょうがないなって。
しんどいです。しんどいけど、可愛いから何とかして頑張る、でいいんじゃないかなとか、いまさらのように思いました。
で、とにかくよろよろしながら病院に行って、帰ってきてから「夕方までは申し訳ないがとにかく休ませてくれ」と母に宣言して、ひたすら爆睡していました。
それでさっき起きて、夕方から母が忙しいので、つきそい交替。わたしが寝ている間にちびちゃんが一度吐いて、一度下痢をしていました。今朝や昨日のようすにくらべたらだいぶいいかな。
さっきまたチューブで流動食を流し込んで、ようやくぐっすり寝ています。
起こされて腹を立ててみても、母もしんどいのは重々判ってるんです。わたしと違って一日家にいるぶん、ずっとちびちゃんと向き合っているわけで、夜も近くで寝ているので、あまりゆっくり寝てもおらず。
そんな状況の中、父が役に立ちません……。
父も、ちびちゃんを可愛く思っていないわけでも、手伝うつもりが全くないわけでもないようなんですが(平日の病院通いはどうにか調整して行ってくれているし)、嘔吐や下の世話はまったくやらないし、それ以外でも言われたことはやるけれど、具体的かつ事細かな指示が出るまでは、何ひとつしないんです。「ちょっとちびちゃんを見ていて」と言われても、本当にただ見るだけ。見。
苦しそうだからちょっと姿勢を変えてやろうとかないし、ちょっと様子がおかしいから誰かを呼ぶとかもないの。腹立つ。
あんまり腹が立ったので、ちびの下の世話がいやならせめて母の家事くらい手伝ってくれと直訴したら、今日は皿洗いを申し出ていました。そして断られていた……(雑なので)。
何もしたくないんじゃなくて、何をしていいかわかんないんだよね。
それには母にも責任があるんだよなと思いつつ。うっかり自分のほうが先に死んだり要介護状態になったときのことも考えて、ちょっとくらい旦那を育てといてよという話を、病院の行き帰りの車の中でしていました。わたしだって転勤先がどうなるかわかんないんだから、先々介護のために通えるとは限らないんだぞ……
人間の話はさておいて。
ちびちゃんが自力で立ち上がることもできない中、ただ一日寝て起きて、胃に食べ物を流し込まれ、薬を飲まされ、下したり吐いたりして。おそらくここから劇的によくなるというのは見込めないだろうし、歩けるようにならないまま、自力でご飯を食べられるようにならなかったとしても、それでも生きている甲斐があるのかどうかとか、ときどきそういうよけいなことを考えたりもします。
これが年寄り猫だったら、自力で食べられなくなったときがそのときだと、こちらも腹を括れるのですが、まだ仔猫というのもあって(といっても八ヶ月くらいではあるのだけれど)あきらめもつかないし。
何よりちびさん自身ががんばっているのだから、この先どういうふうに転んでも、やれることは全部やって、ぎりぎりまでつきあおうと思っています。もしかしたら、かえってしんどい思いをさせているだけなのかもしれないんだけど。
でも撫でたらときどき小さくごろごろ言うし、こちらの手に頭をすりつけてきたりするんです。起きているときは近くにいないと寂しがって、無理に起き上がろうとするし。
田村由美さんの「7SEEDS」の中で、動物好きの登場人物が、子供のころから可愛がってきた虎が狂犬病にかかって人を襲うようになり、自分の手で死なせるというエピソードがあったんです。あのときあの虎を殺す権利が自分にあったのか、自然に死ぬまで放っておくべきだったのではないかと後悔している彼に対して、別の登場人物が伝えた言葉が、印象に残っています。
動物たちはただ生きて死んでいくだけで、こんなに苦しいなら殺してほしいとも、殺されて嬉しいとも苦しいとも思わない。彼らが何を望んでいるのかなんて人間には結局わからないのだから、どういう選択を自分がしたとしても、全力を尽くしたか、自分が必死に考えて選んだことなのか、それだけで判断するしかない。
何年か前、そのエピソードを読んだときには普通に胸を打たれただけだったのですが、それから去年、長女猫の延命措置に悩みつつ看取り、いまちび猫を見守りながら、その場面をやたらに思い出します。
ところでちびさんの健康管理のために、手帳をつくりまして、薬や食事、その他の状況を書き留めています。書いてみて気づいたのですが、日々、いつ吐いたとかいつどれくらい食べたとか、頭だけで覚えていると、いつの間にか記憶を過大に(あるいは過小に)書き換えてしまうんだなあということ。記録って大事ですね。
人間の健康管理やダイエットで、食事をメモしたり運動量の記録をとったりするのって、ほんとうに意味があるんだなと思いました。まあしかし、自分のためにはそんなにマメにはなれないな……
プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
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