小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
このごろ猫たちが、尿結石に肝臓病に目の怪我にと立て続けに不調を来たして、交互に病院がよいの日々です。まあ上の子たちは年なのもあるんだけども。
次男猫の肝臓は小康状態。薬が効いて数字が下がったので、いったん投薬をやめています。肝臓って、そもそも毒素を分解する器官だから、薬を飲むこと自体が、また肝臓に負担を掛けるんだそうです。連休明けにまた血液検査の予定です。下がったままだといいな……。
エコーでは腫瘍らしきものは見つからなかったんですが。いま十二歳かな。けっこういい年なので、あまり体に負担のかかる治療はしたくなくて、迷わしいです。
五女にもちょっと膀胱炎の気があって、大事をとって連休前に病院に連れていってみたはいいけれど、この子、猛烈に暴れるの……ケージに入れるまでの段階で、母とわたしが傷だらけになりました。
この子は前にも尿砂が出ていたので、結石になりやすい子だというのはわかっているのですが、構造上、雌はあまり大事にいたらないことが多いらしく(人間もこれは一緒かな)、まあお薬を飲みつつ様子見というところです。
薬を飲ませるのに、この子はものすごく、ほかの猫たちの比じゃないくらい強硬に抵抗します。抑える人間を全力で蹴っ飛ばしひっかき噛みつき、薬を押し込もうとすると顔を激しく振り、口の中にようやく入れたと思っては一瞬で吐き出すという。あげくのはてに、食事療法用のドライフードもそっぽをむく……というか、そこまでは予想してたんですが、どうにか強引に口に入れてもすぐ吐き出すわ、ほかのフードと混ぜて与えてみれば、今度は一粒ずつ丁寧により分けて普通のフードだけ食べるとかいう、ど器用な芸当まで繰り出してきました。間違えて療法食のほうが口に入ったら、ぽとっと吐き出すの……君がそんなに根気強い性格をしているだなんて、わたしこれまで知らなかったよ……
本格的な尿結石は三男猫。こっちは体格が非常によろしいので、本気で暴れたら大惨事なんですが、しかし薬を飲むのが上手で、あまり苦労していません。あとフードも、いっときハンストしてたけど、ほかの慣れたフードをほんのちょっとだけ混ぜたら、もりもり食べるようになりました。ほんとは混ぜずに与えた方がいいらしいんですが。
結石治療用のフードは、そもそも塩分が強いらしく(水をたくさん飲んで尿を出したいから)、あまり長期間にわたって食べさせ続けるものでもないそうなので、もういっときのしんぼうかな。
事故にあった野良ちゃんはその後、元気にしています。体はやっぱりちょっと左側に傾いていますし、左目の神経は回復せず、おそらくまったく見えていないまま、まぶたも自力ではあまり閉じられません。なのでちょこちょこ軟膏を塗ったり、人力でまばたきさせたりしないといけないの。それでもいまのところ摘出はしなくてすんでいます。
見た目はわりときれいな右目のほうは、どれくらい見えているのか、オモチャを振ってもまったく反応しないのですが、光に反応して瞳孔は収縮します。とりあえず、歩いていてどこかにぶつかるようなことはほぼないです。傍から見ていると、わりと見えてるんじゃないのかなあと思えるのですが、もしかしたら視力以外の手段、ものの場所を覚えているとか、ひげの感覚とか、聴覚とか、そういうので補助しているだけなのかも?
もちろん歯も左側はんぶん折れたままだし、唇も左はいまだにしまりきりません。しかしながら、元気です。家の中をのしのし歩いて、そこそこ高いところまで上ります。正確には、テーブルに上って人間の食事を強奪します。
しかも悪食で、マーガリンとか白ごはんとか大好きで、ときどき野菜にも手を出します。このあいだはなすびの煮たやつを一瞬で丸のみにしていました(叱った)。どうせ盗み食いするなら、もうちょっと猫の体によさそうなやつを食べてくれまいか……
この頃は散歩に出たがって、たまに人間がつきそって外に出すと、敷地内をまよわずぐるぐる歩きます。おそらく野良時代にしょっちゅううろうろしてたと思われます。勝手知ったる我が家の庭なんでしょう。
元気が戻ってきたので、ほかの猫たちの喧嘩に参戦しようとします。いまそれで左目の上のところがちょっと禿げてる。自分から誰かに喧嘩を売っているところは見かけません。もともと野良時代は我が家の猫たちとよく喧嘩していたようなので、目が見えなくなって性格が変わったんだと思うんですが、びくびくしている様子はかけらも見受けられず、つねに泰然としています。ボスの風格があるよね……
目下、目を怪我して目薬点眼中なのが、七女の白ちび猫。こっちは暴れますが、まだ子猫なので、軽く取り押さえられます。あとこの子たぶんちょっとお馬鹿さんで、目薬さされて怒っても、五秒後にはきれいに忘れ去って甘えてきます。かわいいやつめ。
自分で掻かないようにと装着されたカラーを嫌がって初日はしゅんとしてたんですが、そのうち慣れたらしく、むしろカラーを武器のようにほかの猫にぶつけて喧嘩をしています。やめてくれ。
この白ちび、大変な暴れん坊でして、最初うちに来たばかりのころは、ほかに同じ年頃の子がいないので、人間が囓られまくり、遊びに付き合わされまくり、日々へとへとになっていたのですが、この頃はさらに母が拾ってきた八女の灰ちび猫がいるので、一日中一緒に転げ回っています。体格もだいたい一緒くらいなので、ちょうどいい遊び相手になっているようです。
というか、ちょっとだけ白ちびのほうが大きいので、最初のころは白が優勢だったのですが、このごろ灰ちびは知恵をつけてきて、白が油断しているところに背後から飛びかかって不意打ちをかまします。
といっても険悪なわけでもなく、楽しそうに遊んでいるようなのでまあいいかとほったらかしているのですが、しかし、怪我している目の周辺にもちょいちょいパンチをするので、わりとはらはらします。猫に卑怯という考え方はないのか。……ないだろうな。
PR
映画の「ザ・ロード」をDVDで見ました。ヴィゴ・モーテンセンが主演だからというミーハーきわまりない理由で。
作家さんや二次元のキャラクターにミーハー根性発揮するのはいつものことなのに、俳優やスポーツ選手を追いかけると恥ずかしいこの心理はいったい何なんだろう……
さておき感想。ネタバレ注意。
2011年頃公開だったのかな。核戦争かなにかが起こったあとの、滅亡後の世界にわずかに生き延びた人々の話です。世界は灰と厚い雲に覆われて、気温が下がり、作物も木々も立ち枯れて、人々は廃墟に残っている缶詰などを食いつないでいる。銃で武装して、人を狩って食べている連中までいる。滅亡といっても、瞬間的に完膚なきまでに焼き尽くされたというよりも、数年ほどの時間をかけて、絶望した人々が自殺したり、飢え死にしたり、食い殺されたりして、絶えかかっているというあたり。
妻は先に自殺して、残された父と息子が南に向かって旅を続ける。形式だけでカテゴライズすると、父子のヒューマン・ドラマというような括りになるのかもしれないんだけど、どっちかというと、親子の関係そのものというよりも、善悪とか、極限状態に置かれた人間の行動の是非とか、そっちがテーマなのかなという印象がありました。
ヴィゴ演じる父親は、ストーリーの中で、息子を守る為に人を殺しており、危険を避けようとしてたびたび困窮する人を見捨てる。人を見かけるたびに疑って、銃を向ける、あるいは関わり合いを避けようとする。実際に、貴重な食糧を盗まれたり、人食い連中に襲われたりする場面も度々あって、それをゆきすぎた猜疑心とは言い切れない。
息子は、行き会う人々のことを、悪い人ではないのではないかと思っていて、そういう父親を何度も止めようとするのだけれど、息子の命には代えられないと思っている父親は、しばしば息子の嘆願をふりはらう。
途中、せっかく豊富な食料庫を見つけてひと安心できる隠れ家を得たのに、そこでも犬の足音を聞きつけた父親は、「犬がいるということは、人間がいるってことだ」と、警戒して逃げだしてしまいます。
途中、せっかく豊富な食料庫を見つけてひと安心できる隠れ家を得たのに、そこでも犬の足音を聞きつけた父親は、「犬がいるということは、人間がいるってことだ」と、警戒して逃げだしてしまいます。
そのときに、持てる限りの食糧を持ち出したせいで、よけいにそれを誰かに奪われるのではという警戒が増してしまう。そこからずっと、誰かに追われているという気配を感じ続けていて、人に出会うたびに「追っていたのはお前たちか」と聞くのだけれど、どの相手も「追ってなんかいない」と答える。父親はすっかり猜疑心のかたまりになっている。
最後、父親は病気と傷が元で衰弱し、死に際、息子に自分を置いて行くように言い残すのだけれど、息子はふんぎりがつかなくて、父が息を引き取った後も、なかなか旅立てずにいる。そこに通りかかった男が、ひとりきりでいる男の子を心配して、父親が死んだのを聞くと、一緒に来るかと誘う。
息子は、声を掛けてくれた男を信じていいのかどうか躊躇って、躊躇って、だけど賭けるようにして男についてゆく。結果として男は(おそらくほんとうに)善意の大人で、彼には連れがいる。妻と、二人の子供と、それから犬。
そこで映画が終わるので、「ああ、この子はひとりぼっちにならなくて済んだんだな」と安心して観終わってもいいんです。が、しかしそれにしては、ラストシーンの犬と、男の妻の台詞が気になる。「あなたたちを見かけて、心配して追っていたの。お父さんと二人だったでしょう」「でもよかった」と言う。思い返せば、前半で息子が、自分と同じ年頃の男の子を見かける場面があったんです。男の子は隠れてしまって、息子は、その男の子と話がしたくて探そうとするんだけど、父親は、息子が友達がほしいあまり空想と現実がごっちゃになっていると思って相手にしなかった。
つまり息子の見たあのときの男の子は幻覚なんかではなかった。父親が警戒して逃げ出した犬の足音も、この家族の気配だったんじゃないのかな。それなら、彼ら家族はずっと、自分たちの子供と同じ年頃の子をかわいそうに思って、手をさしのべたいと感じていたけれど、その父親が猜疑心が強すぎて他人に銃をつきつけてきたせいで、近づけなかったということになる。
息子を危険から護ろうとするあまり、父親は自分の不安を世界に投影しつづけてきた。その結果として、息子にさしのべられる善意の手を遠ざけ、振り払い続けたのは、父親ということになる。振り向けばすぐそこに、「善き人」たちが存在していたのに。
その父親が死んだことで、やっと、男の子のところに他者の庇護の手が届いた。そういうふうに考えたら、これ、すごく皮肉で悲しいオチなんじゃないのかな。
父親を失って息子が一人ぼっちになったからこそ、この家族連れのほうにも、他人を迎え入れるだけの決意ができたと考えるべきなのかもしれないんだけど。
宮部みゆき「ソロモンの偽証」、文庫版全6巻を発売時に大人買いしてそのまま、一気読みできるタイミングを計るべく積んでいたんですが、昨日の夜から今日にかけてぽかんと時間が空いたので、いまこそだよ! と言わんばかりに読みました。てか、ほぼ一日で読めちゃうんだね六冊ね……もともと読むのが遅いほうではないけども、自分でびっくりしました。ほかに何もしなかったからだけど!
まあでも、ほかの作家さんの本だったらまず無理な気がします。読みやすさと面白さとあってこそだよねー。
まあでも、ほかの作家さんの本だったらまず無理な気がします。読みやすさと面白さとあってこそだよねー。
面白かったです。ミステリで、ひとつの話を描くのに、文庫6冊で計3000ページ超というのはいかにも長いし、宮部みゆきさんみたいな実力派で実績のある作家さんじゃないとやれないことだよなあとか、いらぬ大人の事情に思いをいたしつつ読了。読み応えありすぎですが、とはいえ絡まり合ったたくさんの人間関係と、登場人物それぞれの人物像を掘り下げて書かれているからこその面白み。
大人になって時間がなくて、長い小説に手を出すことがだんだん稀になって、このごろでは、一話完結方式のシリーズものならかろうじていくつか追いかけているけれど……というところ。でも、たまにこうやって長くて読み応えのあるのを読んでいると、やっぱりこの種の小説の面白さって、ある程度の長さがあってこそのものだよあなと思います。文庫本一冊完結くらいの尺では生まれがたい種類の感慨とか、愛着とか、あるよね。
小説やシナリオの指南書のたぐいを見てると、主要登場人物以外のキャラクターには不用意に厚みを持たせるなというのがひとつのセオリーのように語られていますが、そんなセオリーはしょせん、こういうのをがっつり書き切るだけの実力がない人向けの無難な指図だよなとか思ったりも。まあ指南書ってそういうものかな。
小説やシナリオの指南書のたぐいを見てると、主要登場人物以外のキャラクターには不用意に厚みを持たせるなというのがひとつのセオリーのように語られていますが、そんなセオリーはしょせん、こういうのをがっつり書き切るだけの実力がない人向けの無難な指図だよなとか思ったりも。まあ指南書ってそういうものかな。
さておき、六巻目の最後についていた後日譚の中編で、杉村三郎さんのその後が登場していて「おおっ」となりました。「誰か」「名もなき毒」「ペテロの葬列」と続く三部作の主人公。わたし、宮部さんの数ある作品群の中でも「名もなき毒」が一番好きで、五回くらい読んでます。シリーズ通して、三作とも重くてやるせない事件を扱う話なんだけど、杉村さんの人のよさが読後に残る。
宮部みゆきさん、時代物や現代ミステリでときどきこういう、作品間でリンクするような話を書かれますね。高校の頃からわりと長いこと追いかけているのだけれど、なにせ多作な方なので、読み逃しているものもちらほらあります。もしかしてほかにも杉村さんの登場する話って出てるのかなあ。
宮部さんといえば、「悲嘆の門」もまだ積んでいたりして……仕事のストレスが溜まると本をドカ買いする癖があって、年齢が上がるにつれてじわじわストレス量は増えるし余暇は減るしで、このところ積ん読タワーの高さがいきおい増していまして、自分の散らかりきった部屋の散らかりきった積ん読コーナーを振り返ると、我ながらどん引きします。あきらかに転勤までに読みきれないだろこれ……
新作ではなくて、アンソロジーからの再録です。
昨日の記事で書きました「僕らはいつだって本の虫なのサ6」の発売を記念しまして、というかこれを良い機会と思って、僕虫4のときに寄稿した短編を、サイトで公開させていただくことにしました。
去りゆく七月の空に
現代/完結済み/怖くない幽霊
根はまじめなんだけど、かっとなったら手が出ちゃう血の気の多い性格のせいで、痛い目を見てきた二十二歳の男の子が、お客を殴っちゃって店を辞めて、住むところに困り、幽霊つきの格安アパートにうつり住むという話です。幽霊、出てはきますが、一ミリも怖くありません。怖い話は自分が怖くて書けないので!
根はまじめなんだけど、かっとなったら手が出ちゃう血の気の多い性格のせいで、痛い目を見てきた二十二歳の男の子が、お客を殴っちゃって店を辞めて、住むところに困り、幽霊つきの格安アパートにうつり住むという話です。幽霊、出てはきますが、一ミリも怖くありません。怖い話は自分が怖くて書けないので!
当時は、アンソロジーの中の一本とはいえ、いちおうはお金を出して読んでいただいたものを、無料でいつでも読めますよというのはどうかなあと思って、ひとまず公開を遠慮していたのですが(編集を担当されたHONET様からは、公開の判断は各自に任せますと言われていました)、もうあれから4年も経ったし、僕虫4の販売も終わっているようだし……ということで、この機会に。
よろしければ、お時間のあるときにでも読んでやってください。
明日の文学フリマin大阪、C-42のCafeCappucci様で出される「僕らはいつだって本の虫なのサ6」。投稿小説サイトTotal Creators!様のつながりで製作されたアンソロジーで、わたしもひっそりすみっこのほうに、「ひとり」という小説を寄せさせていただいています。現代もの、というにはちょっと古くさいテイストなんですが、ともかく恋愛もの……というほど恋愛ものでもないような気もするけど、ええと、なんかそんなかんじの短編です。(ひとつも中身が伝わってこない紹介文)
今回のお題は、「実在する本を小道具として作中に出す」でした。詳しい紹介は、ひじりあや様が作成されたこちらの記事・動画に。
ご縁があって、ねじ様の「サンドイッチとテディベア」を下読みさせていただいたのですが、じわっと切なくて胸をつかまれる、素敵な短編でした。ほかの方々の作品はわたしもまだ読めていないのですが、実力派の方々が寄稿されていますので、読むのをとても楽しみにしています。というかぶっちゃけ場違い感にうちひしがれるので自分の書いたのを校正終了後まったく読み返していない始末。うん……。
さておき。本のタイトルに「6」とついてはいますが、シリーズ物というわけではなく、独立したアンソロジーになっています。明日文フリに行かれる方は、ぜひチェックしてみられてください。
プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
ブクログ
ラノベ以外の本棚
ラノベ棚
ラノベ棚
フォローお気軽にどうぞ。
リンク
アーカイブ
ブログ内検索
カウンター