忍者ブログ
小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 寄子の場合、他のクルーに比べれば、決断はいくらか簡単だった。
 その理由はいくらもあるが、要約すれば、彼女の父親が清掃局の人間で、中でも最も人々が好まない仕事、つまりは死体の処理や殺処分に関する部署に配属されていたためということになる。
 彼らが地球で暮らしていた頃ならば、そういう余人がやりたがらない仕事というのは、それなりの報酬を保障されるものだったが、月コロニーでは事情が違っていた。もう少し正確に言えば、衰退が約束されたあとの小さな世界では、ということだ。もはや滅びは避けられず、ただそれまでに残された時間を、混乱と絶望の渦に投げ込むよりは、静かに秩序を持って幕を閉じようという、ただそれだけが望まれる社会の中では、需要と供給のバランスなどというものは、まともに働くわけがなかったのだ。
 つまるところ寄子の父は無能力者と見なされ、あるいは彼を嫌う管理局の人々からそういうことにさせられて、その結果、負担ばかりが大きく報いの少ない仕事に就いたということだ。
 寄子はそういうコロニーの現実に、この上なくうんざりしていた。だから月社会を捨てて夢想に飛び込むことに、少しもためらう必要がなかった。
 とはいえ建前として、親の職業と子供の進路との間には何の関係もないこととされているのだし、寄子はスクールの成績も非常によかった。まともに――論理的にということだが――考えるなら、彼女には父とは全く質の異なる人生を送ることを、期待してもよいはずだった。
 だが現実に、管理局は彼女を、その能力にふさわしい職責に就かせることなど、これっぽっちも考えていないのだ。寄子はあらかじめそのことを知っていた。
 それは何も、管理局の顔ぶれが、蛙の子は蛙だというような古くさい偏見に捕まっているからというわけではない。もっと実際的な理由によるものだ。つまり、自分たちは彼女の親をさんざんに苛めてきたのだから、その娘が自分たちを恨んでいないはずがない、というわけだ。そのような相手に下手な力など与えようものなら、その刃が自分たちに向けられるに相違ないと、彼らは考えていた。
 そして寄子は、それが単なる下衆の勘ぐりなどではないことを知っていた。もしも手段と機会さえ与えられていたなら、自分は間違いなく彼らを追い落としただろう。
 だが実際に寄子がとった行動といえば、身の危険を厭わずに父の不遇への復讐を企むことではなく、父の手を引いて、くだらない苛めっ子どものテリトリーから遠ざかることだった。
 尻尾を巻いて逃げた、とは、彼女は思っていない。程度の低い相手と同じ土俵で戦うことに、彼女は心底うんざりしていたのだった。
 それがつまりは寄子・スガヤが月コロニーの格納庫から宇宙船を略奪して、遥かな外宇宙を目指す死出の旅に迷わず身を投じた、その理由だった。


 セキュリティをごまかすのには、若輩者でありながら、寄子はけっこうな役割を果たした。プログラミングの授業のような、子供だましの生ぬるいセキュリティを出し抜くことぐらい、彼女には何でもないことだった。彼女のハッキングの技術は、父親直伝のものだ。
 他に何の仕事もできない無能者と呼ばれて、自らもそのように振る舞って見せていた揚一朗・スガヤは、その昔、地球に存在していた某国の情報舞台に所属していた、腕利きのハッカーだった。サイバー空間を跳梁跋扈して、任務と大義名分にあぐらをかき、ゲームのつもりで多くの人々の人生を狂わせてきた。そういう己の生き方に、あるとき突然うんざりして、自分で自分の牙を折った。そういう男だった。牙は二度と獲物に突き立てられることはなかったが、何を思ったのか、彼は己の技術を娘に受け継がせた。
 いまや月にはそういう分野でのプロフェッショナルが、呆れるほどに不足していた。寄子はセキュリティの突破に大きな力を振るい、同志の喝采を浴びたが、もちろんその他のこと――寄子が入手した図面をもとに侵入経路を決定し、武器を入手し、宇宙船の起動手順を踏んでクルーを宇宙に送り出したのは、彼女以外の大人たちだった。
 外宇宙船が不法に出航したとき、船上には総勢二十人あまりの男女がいた。現実的に船内を切り回し、数年から、最大で数十年の宇宙生活を送るために、多すぎず少なすぎない、それが、ぎりぎりの人数だった。船に装備された小規模の食糧プラントでは、それ以上の人数をまかなうことは不可能だったし、それより少ないクルーでは、船内生活を円滑かつ文化的に切り回すには、労働力が足らなかっただろう。冷凍睡眠カプセルを稼働させればもっと多くの人を運べたかもしれなかったが、そもそも信頼のおける同志の数はそこまで多くなかった。
 寄子はその二十二名の中の、最年少のクルーだった。
 大人たちの愚かしい側面を、この上なくあからさまに見せつけられて育ってきたこの少女にとって、当初、大人ばかりに囲まれての閉鎖環境は、不安要素に満ちているように感じられた。だが、幸いにしてクルーの面々は、良く言えば大人の厭らしさとは縁遠く、悪く言えば夢見がちで政治下手な、つまり子供じみた連中だった。おかげで寄子は大人の汚さに辟易させられる機会よりも、むしろ、肝心の大人たちよりもよほど鬱屈した自分の、大人びて政治的な思考回路のほうを憎まなくてはならなかった。
 そういう危なっかしい顔ぶれによって運営されているにしては、宇宙船クラーク号は、奇跡的に順調な航路を取っていた。小惑星帯を余裕をもってクリアし、木星のスイングバイをぴったり〇・一度の狂いもなく果たして、出航後五日にして太陽系外まで残りわずか三日という位置につけた。
 じきに、望んでも月コロニーとの交信など不可能な領域に入るだろう。残してきた多くのものに、思った以上に未練の湧かない己の心の裡を、寄子は皮肉っぽくのぞきこんだ。少しばかりためらったあとに、友人のひとりにあてて短い通信文を送ったが、それを自分が感傷のために実行したのか、それとも常識だとか倫理観だとか、そういう外部から押しつけられた固定観念に押されての行動だったのか、自分でも判別できなかった。
 寄子にとっては、うんざりするような日常からの脱出にすぎなかった船上生活は、実際に、月コロニーでの生活よりも、よほど上等の暮らしに感じられた。しいていうなら船内プラントには、コロニー本土にあるような、本物そっくりに代用食料品を加工するだけの、高機能の機器は付属していないから、船暮らしに不満があったとすれば、少しばかり食事が味気ないとか、それくらいのことだった。
 だが案外、そういうささやかな欲求のほうが、しだいに耐えがたく思われだすものなのかもしれなかった。旧世界の映画に、地球時代のフルコース料理が映り込んでいるのをうっかり見てしまったときなどには特に。


 彼らの船旅は結果的に、三年あまりで終わりを告げた。
 それでも長くもった方なのかもしれない。何を目指すという目的もない逃避行だったにしては。
 太陽系内や、その近くを飛んでいたうちはよかった。見慣れた星座が進行方向にきらめき、振り返ればすっかり他の星々に紛れて見えなくなった地球の残骸と月が、少なくともその方向にあるはずだということくらいは実感できたし、行く手にはニアミスする軌道の天体があって、その回避のために対処を取らねばならなかった。
 だが一旦、星々の密集するエリアを離れてしまえば、あとは延々と虚空が代わり映えもせず周囲を押し包み、次に何らかの天体に接近するのは、どんなに早くても十数年後であるとはっきりする頃には、誰もが先のない旅にうんざりしはじめていた。
 先が見えない、のであれば、まだよかったのだ。明日には何が起こるか判らないのであれば、まだしも日々を生き抜くことに集中できる。だがそういうスリルを味わいながら暮らすには、クラーク号はいささか優秀すぎる船だった。メンテナンスのための機材はじゅうぶんすぎるほど積まれ、それらを指揮するAIもバックアップも万全で、目下のところ不安材料はなかった。
 いつまで生き延びられるかもわからない不安に満ちた生活に飛び込む勇気があることと、何も起こらないと知っていながら退屈とつきあえる度量があることは、並立しがたい資質なのかもしれなかった。
 最初に参ったのは、料理人兼航海士補のジェラルドだった。変化に乏しい航海食を、いかに工夫して皆を飽きさせないかという命題は、少なくとも二年ばかりの間、彼の生活にやりがいとメリハリを与えていた。しかしプラントで生成できる材料では、味付けや調理法のバリエーションにも限界があった。マンネリ化が進み、乗組員たちが新鮮な驚きと賛美をもってジェラルドを称えることもなくなった。終わりの見えない単調な雑務は、彼の気を滅入らせた。
 ジェラルドが鬱状態に陥り、船内の食事が単なる栄養食のそっけないかたまりになってしばらく経つと、気象予報士兼美容師のアミーリアがあとに続いた。
 彼女の場合、恋人関係だったジャックとの間がうまくゆかなくなりはじめてから変調を来たし、それからの三ヶ月で二回の自殺未遂と一回の傷害事件のあとに、とうとう三回目で自殺に成功してしまった。
 三人目はジャックだ。アミーリアを失ったあと、後悔の念と罪悪感に苛まれ、カウンセリングを頑なに拒否して、合成アルコールに手を出すようになった。次第に言動に一貫性がなくなっていったあげく、一ヶ月後には他のクルーに危害を加えかけて拘禁された。その後、ジャックは冷凍睡眠カプセルに強制収容されて、クラーク号と運命をともにすることとなった。
 一人、また一人と欠けてゆく中、寄子の父親は、かなり遅くまでもったほうだった。彼のようにシステム周りのメンテナンスを担当していたスタッフや、生活用機器の修理をしていた技術者たちは、ともかく目の前に日々の仕事があったことが、精神衛生上好もしい作用を及ぼしたのだろうと推測される。
 最後に残ったのは寄子だった。
 彼女はたったひとりきりになってから、皆の棺となった冷凍睡眠装置の後始末をつけると、自らの生命維持装置に時限作動するバグを忍び込ませて間接的に命を絶つまでの三ヶ月と十二日の間に、ひとつのプログラムを書いた。宇宙船の通信装置を利用した、それは、まだ見ぬ誰かにあてた、メッセージだった。
 さまざまな音声と文字、記号、図解、それらの意味データをくくりつけて辞書として機能するように梱包された、その膨大な分量のデータと出力装置が、ひどく手間暇をかけて作られたわりに、納められた肝心のメッセージ自体は、ごくわずかなものだった。
 わたしたちは、ここにいた。
 いまは失われた青い惑星で発生して、殖え、夥しい数の命を見送り、生きて、死んだ。
 たったそれだけのメッセージだった。自分たちがどのような形質の生きもので、どういう文化を持っていたとか、故郷の風土や光景がどうであったとか、その惑星がどの座標にあったとか、そういう情報はひとつも添付されていなかった。
 どういうつもりで寄子がそんな意味の無いプログラムを書いたのか、知るものはもうどこにもいない。

拍手

PR
プロフィール
HN:
朝陽 遥(アサヒ ハルカ)
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
朝陽遥(アサヒ ハルカ)またはHAL.Aの名義であちこち出没します。お気軽にかまってやっていただけるとうれしいです。詳しくはこちらから
拍手コメントをいただいた場合は、お名前をださずにブログ記事内で返信させていただいております。もしも返信がご迷惑になる場合は、お手数ですがコメント中に一言書き添えていただければ幸いです。
twitter
ブクログ
ラノベ以外の本棚

ラノベ棚
フォローお気軽にどうぞ。
最新CM
[01/18 スタッフ]
[05/26 中村 恵]
[05/04 中村 恵]
[02/04 隠れファン]
最新記事
(04/01)
(01/25)
(01/02)
(08/01)
(06/05)
アーカイブ
ブログ内検索
メールフォーム
約1000文字まで送れます。 お気軽にかまってやってください。
カウンター
忍者ブログ [PR]