小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
 米原万里さんのエッセイ「ロシアは今日も荒れ模様」を読んでいるのですが、節酒法時代のソビエト連邦の話が出てきまして、「供給が禁じられたり、抑制されることによって、欲望が逆に膨らんでいくという経験は、禁煙を試みた方には十分に馴染みの現象かと思う」とのくだりに思わず「ああ……」と(他に誰も居ないひとりの部屋で)大まじめにうなずいてしまいました。そうなんだよ。だめだ我慢しようと思うともう駄目なんだよ……

 ところでわたしはもともとフィクションばかり読んでいて、ノンフィクション系の本はめったに手を出さなかったのですが、ここ数年、なんとなく読むものの幅をひろげようかという気になったものですから、ちょいちょいエッセイや評論なんかも読むようになりました。

 読みかかってみて初めて気がついたのですが、ノンフィクションというのは、隙間時間にとぎれとぎれに読み進めても、そのことがちっとも苦になりません。
 なので平日、ちょっと気の向いたときに手が伸びまして、おかげでわりとハイペースで消化できます。読み物として面白ければそのままがつがつ読むし、気楽な読み物としてはちょっと退屈かなというものは、あんまり時間のないときとか、寝る前とかにちょびっとずつ読み進められる。
 しかし小説はとなると、できれば集中して一気に読みたいという気持ちがあるので、せっかくならまとまった時間のあるときに読もうかというので、延び延びになって、休みの日に回してしまいがちです。だけど、だからといって買うのを自重するかというと、好きな作家さんの新刊が出ればどんどん買っちゃう。

 もしかしてそのせいで、このごろ積ん読が増えているのではないか、という仮説を立ててみました。手元にある読みものがそもそもフィクションしかなければ、ちょっと余った時間にでも迷わず小説に手を出すわけで。そして読み始めてさえしまえば、そのままほかの予定などなぎ倒して読みすすめるに決まっています。(決まっているのか)

 手元のノンフィクション、いっぺん一掃してみようか。そしたらこの積ん読タワーも、もっと低くなるんじゃないのか。
 だけど気になる話題があれこれあるんだよなあ……。

 これも最近になってやっと気がついたのですが、小説は読み終わって面白かったなーって思っても、そのシリーズのつづきとか、せいぜい同じ作家さんの他の本に手が伸びるていどで済みますが、ノンフィクションを読み始めると、類似の話題について書かれた別の本に手が伸びるんです。
 なにか現実の問題について知ろうとするときに、たまたま最初に手に取った一人のものの見方だけを取り入れて済ますのは危険だという意識もありますし、単純にもっとその話題について知りたくなったりすることもあります。それで二冊三冊、下手すると五冊十冊。
 そうして積ん読が増殖していくのだよな……
 この問題の解決法はどこに落ちているのか。

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