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小説を書いたり本を読んだりしてすごす日々のだらだらログ。
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 仔猫がやってきた。

 何も前から飼おうと思っていたとかそういうことじゃない。凛子が拾ってきたのだ。
 自分で飼えなくて人に押しつけるくらいなら拾ってくるなよ命に対して無責任だろ、というのが俺の弁。
 雄二なら絶対見捨てきれずに引き受けるってわかってたんだから何一つ無責任なんかじゃない、というのが凛子の弁。
 まあどちらに理があるかなんていうことはこの際どうでもいい。強いて言うなら、たった二週間前に自分が振ったばかりの元恋人のところに拾った猫を押しつけきれる凛子の神経が信じられないが、それもまあいい。餌代は半分が向こう持ち、そのことにも不服はない。
 どうしても割り切れないことがあるとするならたったひとつ、餌代の受け渡しを口実にこれからもたまに話くらいはできるかなんて、うっかりそんなことを考えてしまった自分の未練がましさだけだ。


 いきなりインターフォンが鳴ったのはよりにもよって午前零時半を回ったあたりで、そんな非常識な時間に連絡もなく家を訪ねてくるような相手を警戒しながらも、嫌な予感がしてチェーンをしたまま開けたドアの隙間に鼻水でぐちゃぐちゃになった凛子の顔が見えた瞬間、口から真っ先に飛び出した言葉は「こんな時間に女が出歩くなよ馬鹿か」だった。
 泣いているのかと勘違いしたのは最初の三秒だけで、チェーンを外して玄関に招きいれたとたんくしゃみの四連発、記憶にあるかぎり小学生のころにはすでに凛子はひどい猫アレルギーで、教室で猫を飼っているやつが隣の席に座っただけでも、目を真っ赤に腫らしてくしゃみを飛ばしていた。それだというのにあの馬鹿は、目やにで両目のふさがった生後何か月だかの白い仔猫を、わざわざ懐にしっかり抱きかかえていた。適当な箱でも探して放り込んでしまえばよかっただろうに。
 そんなことでほだされると思うなよ馬鹿が、と胸中で毒づいたのは単なる悔し紛れ以上の何物でもなくて、それもまた凛子の計算のうちだというのはよくわかっていた。そんな姿で現れれば俺が絶対に拒否しないと踏んでいたに違いないのだ。
「ね、ほんと申し訳ないんだけどさあ」
 ずびずび鼻水を啜りながらそんなふうに眉を下げてみせる一見殊勝そうな態度に、ガキのころから何度引っかかってきたと思っているのかとか、すまなさそうにしてみせるのは形だけで結局のところ十分後にはけろっとしているに違いないのだとか、腹を立てる要素ならもう数え切れないくらいあったわけだが、
「お前より図々しい女見たことない」
 結局のところその憎まれ口は敗北宣言で、猫の毛のついた服の着替えになりそうなTシャツを凛子に放り投げながら、頭の隅では最寄りの二十四時間営業のドラッグストアに猫ミルクが置いてあったかどうかを思い出そうとしていた。


 アパート暮らしだったならどうしたかわからないが、幸か不幸か死んだ祖母から相続した一戸建てで、動物嫌いというわけでもないし、そもそも子供の頃には実家で猫を飼っていた。
 この家に移ってきてから動物を飼っていなかったのは、まだ就職三年目で収入が心もとないからというくらいの消極的な理由で、だから猫を押しつけられたこと自体にはべつにかまわない。どうしようもなくなったら実家の両親にあずけてもいいし、そこまでしなくても職場も近いし。昼休みに戻ってきて様子を見るくらいのことはできる。仔猫は栄養不足で痩せてはいるが、どうやら生後三ヶ月かそれくらいは経っているようだった。猫ミルクも自力で舐めて、いまは部屋の隅においたタオルの上で丸くなって寝息を立てている。この調子なら放って置いてもじきに元気になるだろう。
 予防接種のことを考えれば財布に痛いがまあそれはいい、トイレだの爪研ぎだののしつけも手間だが、それもいい。どうしても納得がいかないのは、案の定ものの五分もせずにけろっとして洟をかみかみ猫ミルクの説明文なんか読んでいる目の前の女のことであって、
「お前なあ……」
「だって他に頼めそうな人思いつかなかったしさあ。あんた昔、猫飼ってたじゃん? 責任持ってあたしもご飯代半分だすし」
「そういうことじゃないだろ、」俺がこの二週間どんだけ、と勢い余って怒鳴りそうになって、ぎりぎりのところでプライドが邪魔して飲み込んだ。「――もういい。用事が済んだんならさっさと帰れよ」
 うん、と子供のようにうなずいてから、凛子が上目遣いで一瞬、何か言いかけるような顔をするのに、慌てて目を逸らした。
「ごめんね」
「もういいよ」
 つっけんどんな声になったのは仕方がない。と思う。
「じゃあ、悪いけどよろしく」
 そう言ってふらっと出て行こうとする背中を見ながら三秒迷って、
「――送る」
 結局は自分もスニーカーを履いた。
「べつにいいよ」
「女が一人で夜中に出歩くな」
 顔を見ずに言うと、凛子が笑う気配がした。
「あんたのそういうとこ、」
「うるさい黙れ」
「まだ何も言ってないじゃん」
 くすくす笑いながら弾みをつけて玄関を出る凛子の、街灯の光の下の薄い背中が、高校生のころとちっとも変わっていなくて、急におぼつかないような気持ちになった。


 ごめんねと、記憶の中の凛子が言った。あんたと居るのやっぱつらいわと。
 なんで、と食ってかかった声は、自分でもそうとわかるくらい力がなくて、返事を聴くまえから気持ちの半分では凛子の言い分を納得していた。
 あんたと居ると甘えちゃうもの。
 それの何が悪いんだよと、言い返したと思う。誰にだって甘えたいときくらいあるだろと。
 駄目なのよ。凛子は泣き笑いの顔になった。あたしが嫌なんだよ、際限なくあんたに甘えて寄っかかって、そういう自分が気持ち悪くてどうしても許せない。
 凛子の母親が凛子を捨ててどこかの男と消えてしまったのが、忘れもしない、俺たちが高一のときの春だった。父親のほうはとっくの昔に離婚してどっか遠い町で別の家の父親をやっていて、親戚同士の盛大な押し付け合いの果てに、凛子が折り合いの悪い叔母の家で嫌味を言われながら暮らしはじめたのも、それまでいつも人の輪の中にいるタイプだったのに、急に人が変わったみたいに友達の誰とも口をきかずにいつも醒めた目で前をにらんでばかりいるようになったのも、
 そういう凛子の背中をずっと見ていたのに、結局凛子がひとりで立ち直るまでぜんぜん何も出来なかったことも、
 全部まだ記憶に新しくて、
 あんたのそういう情にもろいところがさと、凛子は言ったのだった。弱ってる相手を見たらほっとけない、人の好いところがさ、あたしはさ。
 ごめんね雄二は悪くない、だけどもう無理だわと、妙に明るいサバサバした口調で笑って、ヒールの靴音を鳴らして出て行ったのが、
 その背中を何も出来ずに見送ることしかできなかったのが、
 たった二週間前のことだ。


「近いうちにこれ返しに来るね」
 Tシャツの裾をつまんで、凛子がくるりと振り返ったのが駅のすぐ前、終電がとっくに終わった時間になっても構内にはちらほら客待ちのタクシーが停まっていた。「あと猫のご飯代と」
「――餌代はいいよ」
 胸をよぎった未練がましさへの反動で、つっけんどんな声が出た。
「持ってくるよ。猫、見たいし」
 重ねて言われれば、もうそれ以上つっぱねる気にもならなくて、
「鼻水垂らしながらか」
 そんなふうに憎まれ口を叩くのが精々だった。
 またねと小さく手を振って駆けていく背中に、伸ばし損ねた手を握って拳を作った。
 悪いのは俺か。発進するタクシーを見送りながら、肩が落ちる。
 凛子は強い。多少のことではへこたれないし、人の中でもわりかしうまくやっていけるほうだし、ついでに言うならちゃっかりしていて図太い。つい先日別れた男のところに猫を押しつけて悪びれないくらいには。そんなことはわかっている。
 わかっているつもりで、わかっていなかったんだろうか。
 俺は凛子を弱い女のように扱っただろうか。


 部屋に戻ってみればさっそく仔猫が粗相をしていて後始末に追われ、一息吐いて時計を見れば、とっくに二時を回っていた。明日も仕事だっていうのに。もうため息しか出ない。
 少しは申し訳ないと思うのか、それとも単純に心細いのか、俺が疲れて座り込んだとたん、その膝の上に仔猫がよちよちよじ登ってきた。目やにだらけの青い目で人の顔を見上げながら、声にならない声でにゃあと鳴く。なんだこいつ。可愛いじゃないかこのやろう。
 鼻先をつつくと、仔猫は一丁前に喉を鳴らして額を押しつけてきた。くそう。そんな殊勝な顔をしても騙されないぞ。猫なんてどうせ三日もすれば拾われた恩なんかきれいに忘れ去って、けろっとしているに違いないんだから。まして凛子の拾ってきた猫だ。あいつなみに図々しいに決まってる。
 ぶつくさこぼしてはみたものの、結局のところそれも、事実上の敗北宣言だった。

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